
出版への道程7 原稿を書くに当たって考えたこと(情緒編)
今回は前回に引き続き実際に原稿を書くに当たって考えたことを綴って参ります。
前回、「統計と情緒」で分けて考えることを提案しました。日本で統計的な視点でクラフトビールを検討することは現状不可能なので、その実現に当たってはサンプル抽出条件の妥当性や有効性を議論し、中長期的に活動することが必要だと指摘しましたが、本稿では情緒の方について考えてみたいと思います。
よくアメリカにはクラフトビールの定義があって、日本には無いと言われます。それは概ね正しく、確かにそこから始まる議論もあると思います。しかし、定義にまつわる議論でこぼれ落ちている前提の話があると感じます。形式ではなく内容に関するものです。
Brewers Asocciaitonが発足したのは2005年で、その時に現在に近しい形でCraft Brewerが定義されて変更を重ねながら今に至ります。 その一方で、アメリカのクラフトビールの歴史は1965年や1980年代に始まったと言われることが多いです。このズレはどういうことでしょうか。
定義して統計的な把握が可能になってからクラフトビールという概念が生まれたと言えなくもないけれども、名前が付く前から「クラフトビールらしきもの」、「後にクラフトビールと呼ばれるが、その当時名前がなかったもの」が実際に全米各地にあって、それを楽しみ応援していた人がいたから今があるわけです。形式、すなわち統計的定義を与えてからクラフトビールが誕生したわけではなくて、まだ名前のない草の根活動という現実(形式に対応させるならば内容)が先に存在していたと考えるのが現実に即しているでしょう。こういうことはあまり語られていないように思います。
クラフトビールについてよく語られるイメージである手作りやDIY、地域密着、技術革新等々は統計的データから導かれるものではなく、現実の実践から生まれてきたものです。より正確に言えば、ビールを作るブルワーと消費者のインタラクションによって生まれました。この数値で測ることの出来ない部分は人間の感情や情緒をベースに作られているのであり、ビールが媒介した複数の人々のやりとりが上述のイメージとして表れてきたわけです。情緒という視点から、クラフトビールという文化におけるこうした部分に注目することも統計的把握と同じくらい大事だと私は思います。
どうしても飲んで楽しむ主体である「私」だけに注目しがちですが、本当は「私たち」に注目すべきなのです。なぜなら、思考を「ビールと私」という閉じた系から「ビールが媒介する私たち」という開いた系に移行していくべきであろうと考えているからです。ここ日本でもこういう視点でクラフトビールなる文化的な現象を観察して分析していこう、と私は提案したい気持ちを込めて、議論の叩き台になるよう第5章に色々と書きました。是非お目通し頂ければと思います。
続く
【お知らせ】
KADOKAWAの新書レーベル「角川新書」から「クラフトビール入門 飲みながら考えるビール業界と社会」を8月10日に上梓致します。こうした幸運に恵まれたのも皆様に読んで頂き、ご指導頂いたお陰です。心より深くお礼申し上げます。
本書ではこれまでのクラフトビール本とは異なったアプローチでクラフトビールという文化現象について綴っております。クラフトビールの本にもかかわらず個別具体のビールを取り上げてご紹介してはいません。クラフトビールというものが具体的に存在するわけではない、つまり「クラフトビールというビールはない」のであり、あるのはイメージだということを説明するのがこの本の目的の一つだからです。その上で、クラフトビールを液体ではなく文化現象として描き出し、「ビールと私」という閉じた系からコミュニティ、社会へと開いた系へと転回していくことを提案したいと思い、筆を執りました。本書を手に取ってくださった方が素敵な一杯に出会う手助けになってくれることを心より願っております。
現在、下記で予約受付中です。また、お近くの書店で「ISBN:9784040825410 クラフトビール入門 飲みながら考えるビール業界と社会」とお伝えすれば予約・取り寄せも可能です。ご拝読賜りますようお願い申し上げます。
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