「クラフトビールなんて言うのやめて、ただビールでいいじゃん」は螺旋階段を一周上がった先じゃね?という話

「クラフトビール」を使わずに、ただ「ビール」だけにした方が幸せだと思うんだけど、クラフトビールって言葉はそんなに必要なんですかね?みたいなコメントをSNSで見かけました。

まぁ、言わんとするところは分かる。でもね、という話を今回したいと思います。

これを見た時、同じ言葉のままに新たに概念を追加し、それを世間一般にインストールして標準化することは可能だろうか?という疑問が自然と湧いてきたのです。そして、私は直感的に出来ないと思った。言葉にはイメージが必ずつきまとう。それ自体が昔のイメージをひきずっていたり、個人の過去の経験から勝手にイメージを引っ張ってきてしまう言葉というものをフラットに、ニュートラルにアップデートすることは決して容易ではない。

「クラフトビールなんて言うのやめて、ただビールでいいじゃん」と発言出来る人は特殊な人なのだと思うのだ。ステージが違うと言い換えても良い。一度クラフトビールという概念を得てビールという言葉の範疇との関係性、棲み分けの整合性をその人なりに咀嚼し会得し終えた人である。アップデートされたビールのことをここでは仮に「ビール※」とすることにするけれど、件の人は「ビール→クラフトビール→ビール※」という順序で体験し概念を育ててきた。最後のビール※に辿り着くまでに色々と考えたことだろう。小規模だとか、ローカルだとか、手作りだとか、キーワードと思しきものはたくさんある。それらを少しずつ吸収しておそらくその人なりのクラフトビール観を構築した結果、「クラフト」という接頭辞は省いても構わないと考えるようになったに違いない。

ここで注目したいのは、クラフトビールの「クラフト」部分を省くという行為はクラフトビールを体験していることが前提にあることだ。クラフトビールを経由せず「ビール→ビール※」という道程を行くのは難しいのではないか。良い悪いは置いておいて、すでにクラフトビールと呼ばれるものやそう呼ばれる概念が存在する以上、ビールをビールのままにビール※へと拡張するのは難しいだろう。「ビール※」にクラフトビールが含まれているのだからクラフトビールそれ自体を一旦ちゃんと認識することは必須だと思うのです。クラフトビールを体験して咀嚼し、吸収し終えてはじめて「ビール」が「ビール※」になるんじゃないかな。要はものには順序ってもんがあるだろうよ、ってことです。

その場で垂直ジャンプしたところで一瞬30cm上が見えるだけだ。螺旋階段を上るように少し遠回りしながらの方が自然に上へと行けるし、寄り道しながらちょっとずつ上がってきたからこそ同じ景色のちょっとした見え方の違いが連続的に確認出来て楽しい。そして、視界が広がると遠くが見えて手前の景色の意味が変わるというものだ。俯瞰すると同じ座標なのだけれど、横から見ると高さは上がっている、そんなイメージと言えば伝わるだろうか。

ということで、少なくとも私にはクラフトビール以外にビールの概念それ自体を拡張する体験を得られる手段が今のところ思いつかないでいるわけです。寄り道が結局最短距離なんだよなぁ。寄り道、楽しいよね。

1994年にいわゆる地ビール解禁があって、四半世紀以上が経ちました。国産輸入問わず現在様々なビールが飲める状況にあってもまだまだ普及しているとは言えない。その理由は飲み手側にあるのではなくて、むしろ作り手、流通、提供側がちゃんと語らなかったからではないだろうか。「面白いんだよ」、「素敵だよ、こういうものも」と伝わるまで語って来なかった結果なのだと思う。一口飲んで「むむ、なんだこれは!?すげぇ!!」と言わせることが出来なかった事業者側の怠慢に端を発するのだと考えるべきなんじゃないか、と事業者側にいる自分への批判も込めて考えるに至ります。

きっとその人は時間もお金もかけて螺旋階段を上った結果きれいな景色が見えたのかもしれない。だからと言って、他の人に垂直跳びして一気にここまで来いというのは酷な話なのだ。一緒に上ってたくさん飲んで会話をしているうちに寄り道が楽しくなっていつしかビールがビール※になり、最後にはこの米印がいつしか時と共に溶けて思い出せなくなってしまうのが理想だろう。

ということで長々かきましたが、今日言いたかったのは「ただビールでいいじゃん」はその通りなのだけれど、螺旋階段を一周上がった先じゃね?ということでした。