利便性と価値 ウエストフレテレンを例に考える
海外のサイトで確認済みだったのですが、日本語でも情報が出たのでご紹介。
あの幻と言われるトラピストビールのWestvleteren(ウエストフレテレン)が遂にオンラインで予約出来るようになるというのです。12と書かれたボトルが過去に日本でも市販されたことがありますが、あれは改修工事費用を捻出するために行われた例外的な話で通常そのようなことはありません。それ故転売、二次販売が非常に多く、びっくりするほど高い値段がつくことも。まぁ、それだけ出しても欲しい人がいるからそういう値段になるのでしょうね。上記記事でも触れているように、事態を重くみた修道院は、オンライン予約システムの導入を決定したのだそう。購入者は登録が必要で、前回の購入から最も長く待った人に優先権が与えられるそうです。ちなみに、インターネット上で予約が可能になるだけで配送はしてくれません。現地でピックアップしなくてはなりませんのでご注意を。
トラピストのビールについてはこちらも合わせてご覧ください。
トラピストの六角形ロゴマーク”Authentic Trappist Product”
トラピスト修道院は20箇所(2019/4/23 加筆あり)
トラピストビール最新情報2018 12番目のトラピストビール誕生? 2018.7.12追記あり
ここまでの話はすでに色々なところで目にしているかもしれません。CRAFT DRINKSはもう少し突っ込んで考えてみたいと思います。
たとえば、ratebeerでWestvleteren12は100点の評価で、総合評価でもtop50の何と3位。極めて高い評価です。
私もベルギーで入手して飲んだことがありますが、絶妙に薄くないギリギリの感じと言えば良いでしょうか、とても美味しいビールだと思います。高い評価なのは納得ですが、総合評価で3位という点には少し疑問があります。ratebeerは味わいやお酒としての完成度も重要ですが、人気のスタイルや希少性などがスコアに強く影響を与えるからです。なにせ修道院とその向かいにあるカフェでしか買えないはずのものなのに、評価数が3562回とすば抜けて多い。これはおそらくビールファンが「こんなに評判のものなら高くても一度は飲んでみたい!!」と思って転売品をじゃんじゃん買っていたからでしょう。これからWestvleterenの予約が開始されたとしても供給量がどーんと増えるわけでもなく、相変わらず少ないままです。しかし、欲しい人に今までよりはちゃんと届くようになるわけで、妙な値段で出回ることは少なくなるでしょう。そうなった後ratebeerなどのスコアがどうなるのかについて私は非常に興味があります。
先程指摘した通り、Westvleterenは由緒正しきトラピスト修道会加盟の修道院で醸された紛うことなきトラピストビールであり、現地に行かねば買えない貴重なものです。一度に買える量も制限されていて、それ故に転売が横行したわけです。高値の転売が可能だということはそれだけ世間が価値を認めていることの証拠でもあり、入手困難性自体が更に価格を上げる要因にもなっていると考えられます。これが公平、公正に入手できるようになれば転売は減り、転売の二次流通価格もグッと下がるでしょう。しかし、入手困難性が下がってもこの評価は変わらないのだろうか?入手困難性がスコアを上げている要因の一つではないのかどうか。その部分が気になって仕方ないのです。システム導入後も現地でピックアップしなくてはならないのでおそらく急に評価がどーんと下がることもないと思うのですが。
以前こちらの記事でこう書きました。
トラピストビールは単に美味しいお酒なのではなくて、一緒に信条も飲んでいるのでしょう。言葉にするのはとても難しいけれど、イミテーションには無い格やオーラ、深い思念のような、目には見えない何か。そういうものを協会や修道院が大事にしているのだと思います。私自身も含めて、ロゴマークを付けないと現代人にはそれが分からなくなってしまったのかもしれません。液体からそういうものをちゃんと感じ取れる、穏やかで豊かな心持ちでいたいなぁとつくづく思います。
仮にWestvleterenが配送もしてくれる通販になり、クオリティも全く変わらずいつでも手に入る量を醸していたとしてもこういう想いを液体に感じて飲むのだろうか。そして、私達は高い利便性を得ても今と同じように評価するだろうか。ふとそんな想像をします。とある漫画でラーメンハゲこと芹沢達也が「ヤツらはラーメンを食べてるんじゃない。情報を食べてるんだ!」と言っていたけれど、もしそうだとしたらそれは商品であって文化ではないだろう。白黒はっきりつける問題ではないのかもしれないし、実際売れないと困るわけなのですが、ちょっとロマンチックな方が良いよなぁと思っている自分がいるのもまた事実なのです。
日本は流通がよく、世界中のものが輸入されていますし遠く離れた地方のものもインターネットを通じてすぐに購入できます。ただ、便利になったおかげでちょっとだけ有り難みのようなものが薄くなってきたようにも感じられます。不便益と言いますか、多少面倒だったり苦労をかけて手に入れたものの方が良かったりすることもあると思うのです。メールじゃなくて自筆の手紙の方が書くのにも届くのにも時間がかかるけれどどこか愛おしいじゃないですか。本来想いのあるお酒を飲むという行為を通じて何かと繋がることが精神的にとても重要なのであり、価値がある。購買と飲用それ自体が一つのコミュニケーションの形態だとも言えます。便利な21世紀だからこそ、今一度考えてみても良いことのように思われます。