さかなクンの電話帳と社会還元

少し前「さかなのこ」という、さかなクンの半生をモチーフに描いた映画が公開されました。各種報道でこの映画のことは見聞きしていて興味が湧きましたが、バタバタしているうちに結構時間が経ってしまい、いつの間にか上映されている映画館がなくなってしまいました。痛恨の極め。なんとかせねば。とりあえずこの映画は「さかなクンの一魚一会 ~まいにち夢中な人生!~」という本を元にしているそうなのでず買っておこうかと思います。

ところで、さかなクン、とても魅力的ですよね。うまく言葉に言い表せないけれども、すごく素敵。なぜだろう。そんなことをぼんやり考えていたら、さかなクンの電話帳のことを思い出しました。

以前NHKの「潜れ!さかなクン」という番組をたまたま見たのですが、とても素晴らしかったのです。子供にも分かる平易な形で説明しているけれども、その後ろ側にものすごくたくさんの深いものが散らばっていることを予見させる。さかなクン、すごいなぁ。

ちょっと気になったのでさかなクンのことを調べていたら、公式youtubeチャンネルが出来ていたことを知りました。色々と見ていたのですが、この動画に釘付けになってしまったのです。車で移動している間新聞の連載記事を書こうとするもののネタに困って思案してる風景が映し出されています。

映っているのは移動中の車内なので絵面は非常に地味なのですが、さらっとものすごいことをしていて驚きました。

さかなクンは連載のアイディアに詰まっておもむろに工藤先生に電話します。あとで分かることですが、工藤先生は神奈川県水産技術センター内水面試験場の方で、現役バリバリの研究者です。工藤先生に大雨の時に川の魚がどうしているのかを尋ね、様々な意見が交わされます。

wikipediaを見てみると、さかなクンの携帯電話の電話帳には全国の研究者の連絡先がズラリと並んでいて、またそのネットワークは全国各地の漁師町にも及んでいるそうです。浮かんできた疑問について相談すべき相手がすぐに思い浮かび、その人に直接アクセス出来るということです。思ってみればこれは本当にすごいことですよね。

一昔前は「ggrks(ググレカス)」などと言われましたが、今は「いかがでしたか?ブログ」に代表される中身の全く無いコンテンツで溢れていてググっても解決しないことが増えました。いわば「ググったらカス」の状態です。検索して分かることはもちろん大いに利用すれば良いのですが、サーチエンジンも万能ではありません。web上にまだ無いけれども重要なことはたくさんあって、それはどこかの誰かの頭の中に置かれたままだったりします。そこに対して高い精度でダイレクトにアクセス出来るさかなくんの電話帳はすごい。

テレビに出たりしているからコネクションを作れたわけではないと私は思うのです。きっとさかなクンの魚が好きであることが純粋に伝わり、更に専門性の高い内容を理解出来るだけの下地があることが了解されているのでしょう。専門領域は違えども海や魚に関して興味があることで一致していて、その絶対値が高いところにあると双方が認め合っているので話が早いというわけです。

分からないことがあればすぐに聞くし、聞かれた方も分かる相手だから手抜き一切なしで全力で答えてくれる。答える方もさかなクンの向こう側にたくさんの子どもたちが見えているから本気で付き合ってくれるのでしょう。海や魚を通じた文化・文明の発展に寄与するという点で一致しているからこその話です。互いにリスペクトがあるんだよなぁ。さかなクンならちゃんと噛み砕きつつ正しく伝えてくれるだろうと信じているのでしょう。そして、そう信じるに足る揺るぎない実績がさかなクンにはある。

さかなクンと工藤先生のやりとりが記事になり、それを読んだ子供が海や魚、もしかしたらもっと広く自然だったり、地球のことだったり、生命に関心を持つかもしれない。これは立派な社会還元だと思うのです。結果としての記事にも大きな意義があるけれども、こういう過程を経ていた事を知るとますます愛おしいものだと感じます。

さて、私は酒屋なのでこのことをお酒についてスライドさせて考えてみます。ビールのスペックや製法、ベースとなるスタイルもとても大事な情報で、そこから分かることもたくさんあります。しかしながら、そういう事実に関することはどこかの誰か1人がwebに上げてくれれば済む話で、コピペして無駄に同じ情報を増やす必要はないはずです。大事なのはその情報を理解した上でどう解釈し、どう発露させて展開していくかではなかろうか。

1人の飲み手として思うのは、私の疑問に耳を傾けてくれて、一般論ではなくちゃんと私に向けて語ってくれる存在こそが大事だよなぁということです。意図的に、そして相互の理解を前提に距離を取ることも、敢えて意見することもここに含まれると思います。絶妙なさじ加減を求められる割にすごく地味なのですが、乾杯の現場でそういうやりとりが繰り返されることで醸成されるものがあると思うし、その結果がコミュニティを生んだり文化を形成すると信じているふしが私にはある。根拠はないのだけれども、これは正しい気がするのだ。