旬ってものがあるんだな、きっと
「THE WINDS OF GOD ‐零のかなたへ‐」をご存知でしょうか。惜しくも亡くなってしまった俳優・今井雅之さんの戯曲で、売れないお笑いコンビが第二次大戦の末期にタイムスリップして特攻隊員と入れ替わってしまうというお話です。素晴らしい作品なので、まずは小説版を是非一度読んでみてください。
元々戯曲として書かれ、1988年からご自身で演じていらっしゃったそうです。その後1995年に小説となり、映画、ドラマにもなりました。お笑いコンビの二人が悲壮感を漂わせないように一生懸命振る舞う姿がまたテーマを重層的にしていると思います。山口智充、森田剛が主演の映画も良いので動画が良い方はこちらをどうぞ。
このTHE WINDS OF GODを一度だけ芝居で観たことがあります。場所は東京の紀伊国屋サザンシアターで、確か2005年とか、その辺りだったと思います。本も先に読んでいて感動したし、演劇好きの知人からもとても良いと聞いていたので私はかなり期待して観に行きました。しかし、その感想としてはアンビバレントな感じで、何とも言えない悔しさがありました。
芝居自体はすごく良かったです。とにもかくにも素晴らしい舞台でした。しかし、1つだけ。いや、この1つが決定的かつ致命的なのだけれど、全てがこなれすぎている。主題が若者の葛藤なのに、役者が老獪すぎる。初演の頃のことは知らないのだけれども、勢いの絶対的な熱量みたいなものが減っていたのではないかと想像しました。
すごく難しいところなのです。この戯曲は人気で、長い間上演し続けています。ですから、芝居がこなれてきていて当然です。しかし、この戯曲の本質的な部分は若者の葛藤であって、そこがある意味で衝動性もなくきれいすぎてしまうとそれはそれで違うような気がしたのでした。そう、パンキッシュな何かというか、パワーコードで3コードだけなのに勢いがあって、衝動的なものだけがもつパッションみたいなもに惹かれることってあるじゃないですか。ああいうものを求めていたのかもしれない。
ものごとには旬ってものがあるんだな、きっと。そして、ものごとの旬とその旬が理解出来る自分の旬という2種類があるのだろう。
同じ年、いや、その前年だっただろうか、私は東京スウィカの芝居も観ていました。主演はあの吉田羊(あの当時は吉田羊右子さんですが)で、上記写真は公演を見た時に頂いたカードです。新宿シアターモリエールの舞台の上で彼女は抜群の光を放っていた。それはそれは凄かった。しかし、あの瞬間今のようなスターになるとは思ってもみなかった。あの強い光を目の当たりにしながら私はその絶対値の高さを感じ取り、その姿を追いかけようとしなかったことを今後悔している。その時、私自身に旬が来ていなかったのだなぁ。今は旬なのだろうか。もう過ぎてしまったのだろうか。自分のことはよく分からない。
絵画や映画などと違って形として残ることのない芝居は自分がそこにのめり込んで取りに行かねば得られないものがあるのだろう。主体的に関わらねばならない。きっとそれはお酒も同じで、良いものはすぐ目の前にたくさんあるけれど、その評価や感動の尺度を自分の外に求めている間は深く刺さってこないのかもしれない。作品と自分の波長が強く重なり合い、その振幅の強度がすうっと入ってくるタイミングがあるんだよね、たぶん。いつまでも良いものを良いと素直に言える自分でありたいと思う。