
「XXXXは売れない」は何に由来するか
随分前のことです。
「ビターは売れない」という趣旨のポストがSNSのタイムラインに流れてきました。ここで言うビターとはイングリッシュビターという英国のパブでよく飲まれている、地味でゆるゆるなビールのことを指します。「ビターは売れない」か、なるほど。
イングリッシュビターは現在流行のアメリカンIPAとは全く違います。IPAは地味でゆるゆるではなく、派手でパンチがあって、そこが人を魅了して離さないような気がします。その意味で「ビターは売れない」と言われれば「まぁ、そうだよね」となるでしょう。しかし、そう片付けるのはあまりにも単純です。ちょっと立ち止まってもう少し考えてみても悪くないと思います。ビターのみならず、「XXXXは売れない」は何に由来するのかを私なりに考えてみます。
当該ポストを見た瞬間、売れない理由には2つあるのではないかと思いました。まずはスタイル自体が絶対的に人気が無いから。もう一つはそれを作るブルワリーに信用が無いから。前者の可能性は高く、私自身も人気はないだろうな…とは思います。しかし、それだけが理由であると断定は出来ない気がします。この段階で後者である可能性は否定は出来ないでしょう。
アメリカンスタイル全盛の今、確かにイギリスのクラシックなスタイルは不人気に見えるけれど、歴史が証明する良さも確実にあるわけです。そうでなければ既に廃れて消滅しているはずです。今尚残っているということはそこに良さがあることの証拠でしょう。それをブルワリーのみならず、パブ、酒屋、ジャーナリストなども含めて伝えきれなかった結果かもしれないと考えるべきではないか。そういう界隈の端っこにいる身としては「力不足でごめんなさい」と正直に思います。まだ足りないよね…すみません。力が無さすぎて泣けてくるわけです。
純粋に語りが足りないならば作り手以下商流・物流に関わる全ての人がそういう意識を持って、「何を誰にどう語るか?」という問題に向き合わねばなりません。もちろん私も含めて、です。そう考えた時、協力体制をどう構築するかという問題が同時に生まれます。ただのビールファンではなくて事業者なのだからそこは利益が強い動機となるわけで、その値付け、正確に言えば卸値の掛率という部分で魅力が無ければそもそも協力する気がおきません。ここにクラフトビール普及のボトルネックの一つがあるのはないかと私は考えています。
ブルワリーに通販小売免許があり、津々浦々に直接販売出来る環境です。にもかかわらず、粗利を下げてでも生販三層に商品を乗せるメリットは何か。規模による条件付けをし、場合分けして考えるべきでしょうが、これを考えてみるのも悪くないと思います。
さて、後者について考えてみます。ブルワリーに信用があれば何を作っても消費者が「あそこが作るなら一丁飲んでみるか」と考えて飲む、つまりは売れるということは大いにあり得ると思います。1バッチ分確実に捌ける数のファンがいるなら何作っても飲まれるに違いない。世間からの人気を支えるのは飲み手の認知、嗜好、そして思考であるけれども、そこに至る道筋の一つはブルワリーに対する信用、期待だと思うのです。
ビール、ビアスタイルに対する興味関心からそれに付随する存在としてのブルワリーを発見するルートと、ブルワリーに対する興味関心からそのビールに付帯する概念としてのビアスタイルを発見する道の2つがあると考えられますが、どちらにせよビールは選ばれ、消費されます。それは結局のところ売れるということですが、そこに至るプロセスの違いが結果の質的な違いを生み、新たな前提として再構成されます。そして、その後繰り返される結果もまた変化してくるでしょう。
繰り返していく中で波紋のように周りに伝わっていき、それはいつしか作り手に対する信用にも転化していきます。一度で信用されることは恐らく無く、複数回の接触が必要だと思います。
作り手以下流通に関わる者が飲み手に語り、飲み手の内部に何かが生まれ、その結果ビールが飲まれます。それは売れるということです。前半の「飲み手に語り、飲み手の内部に何かが生まれ」るという部分をすでに醸成された世間の人気に頼って省いているのだとしたら、意図的に構築された人気に翻弄される脆弱なシーン(もしくはビジネス)になってはしまわないかと危惧するところです。品質は担保しつつ「うるせー、ボケ!ビターは最高なんじゃ〜!!」とプロダクトアウトするパワーと語り部が足りないのかもしれないと思ったのでした。まぁ、「ボケ!」はちょっと乱暴ですが、ビターというものが何かを説明するよりも、作り手自らが「オレのビター」のことを直接語って欲しいと私は願っているのです。
球際の話をすると、「あそこが作るなら〜」は「あんたがお勧めするなら〜」と相似形をしていて、規模や距離感の違いはあるにせよ、その構造、関係自体は同じだと思います。その意味でビターに限らず、どのレイヤーでも「生の語り」が足りないということを示しているような気がしてなりません。パッションダダ漏れ最高ですからね。結局そういうことなのではないかと今は思います。
ここまで読んでいてすでにお気づきかと思いますが、結局スタイルそのものについての語りも足りないし、語りによって醸成されるブランドへの信用も足りないので、結果が同じになっているのでしょう。とにもかくにも強い語りが足りない、そういうことではないかと思うに至るのでした。
世間全体にクラフトビールなるものを知って頂くことは私のような小さな存在には難しい。いえ、不可能だと言っても良いでしょう。大き過ぎる目標を立てることはクラフトらしいと思う一方、より現実に根ざして実現可能性にもこだわってみたいとも思います。世の中で受け入れられなくても、小さく同好の士が集まり、その場だけでも充実しないとその空間は広がっていくはずはありませんから。
そんな気持ちもあって私は私に出来ることを考えて、リアルな読書会を始めたのでした。強く語り、強く聞くにはオフラインでなくてはならない。今はそう思っています。味覚・嗅覚はもとより、声の身体性を通じて乾杯と語りが強い紐帯を結ぶ、はず。