ビールに時間という概念を セミナーより抜粋

先週、私はけやきひろば秋のビール祭りで特別セミナーを行いました。そこでお話したことを少し綴っておこうと思います。セミナーのテーマは「ベルギーのビール文化と熟成」でしたが、幅広くお話したのでここでは「時間」というキーワードだけに絞り、当日使用したスライドの一部も併せてご紹介致します。

 

ここまでは特に説明も不要かと思います。一口にIPAと言っても様々なものを包含した広い概念であることは皆様御存知のとおりです。では、IPAとは一体どういうものなのかを考えてみましょう。

BJCPから引用しました。この記述は非常に重要で、是非知っておいて下さい。端的に示されているのが上から5行目の”The term”から始まる部分です。邦訳すると、こうなります。

「IPA」という用語は意図的に「India Pale Ale」とは綴られていません。これらのビールは歴史的にインドに渡ったものではなく、多くは(補足:スタウトに比べて色味が淡いという意味の)ペールではありません。

ここで指摘されていることを補足しつつご説明すると、イギリスに起源を持つIndia Pale Aleと呼ばれるビールは確かに存在していて、歴史から考えてそれが影響を与えていることは疑うべくもないのだけれども、クラフトビール発祥の国であるアメリカにおいて独自に進化して行った結果、イギリスのそれから完全に独立したアメリカ発祥のIPAというものになったと考える、ということになります。IPAはIndia Pale Aleの略語ではなくIPAという固有名詞、従属関係を持たない独立した一つの概念なのです。

実際、ヘイジーIPAを飲んで「うん、確かにイギリスの影響がそこはかとなく感じられるなぁ」とは誰も思わないと思うのです。恐らく近年のクラフトビールに親しんでいる方々は皆それ相応に「アメリカ的なるもの」を内面化して現代クラフトビールシーンを捉えていて、特に意識せずともイギリス発祥のIndia Pale AleではなくアメリカのIPAという飲み物だと認識していると思います。

個人的には自明のことのように思われるのですが、まだまだウェブや紙媒体ではこういう指摘をちゃんとしていないように感じられたので敢えてスライドを何枚か使用してお話しました。

では続きです。

そんなIPAはホップの香り、味わいを愉しむためにフレッシュであることが良しとされます。時間が立つと劣化、老化してしまいますから、自身の経験を振り返っても確かに早ければ早いほど良いと思います。その観点で言えば、IPAに代表される現在の潮流はFresh & Hoppyというキーワードで説明出来るでしょう。

こういう考え方があるということも理解している一方で、それとは真逆の考え方も出来るのではないでしょうか。Fresh & Hoppyに対してAged & Malty、Yeastyです。麦芽、酵母を主体に作られたビールはたくさんあり、それらが作り出す寝かせた美味しさを愉しむという発想も可能です。特にベルギーのビールにはそれが強く感じられます。

ビールだからそういう考え方を持ちにくいかもしれませんが、日本酒におけるひやおろしはその良い例で、時間をかけて旨味が乗ってくるものを美味しいと感じて楽しんできた日本人がそれを分からないはずがないと私は思います。

EUに統合される前はBest BeforeではなくBottled Inを採用したブルワリーがたくさんあったそうです。賞味期限に追い立てられるのではなく、寝かせて美味しいなら寝かせて愉しむと考えたいものです。

寝かせたお酒はまったりとしたコク、風味になってきます。ガブガブ飲むタイプではなく、ゆったりちびちび飲む感じです。となると、ビールの変化にかかる時間だけを重要視するのではなく、飲む主体としての私の感覚、つまり飲むにあたっての精神的且つ時間的な余裕が大事になってきます。

今この瞬間に発揮されるホップの力を愉しむのも一興ですが、長く続く時間を感じて「寝かせた美味しさ」を愉しむのもビールの魅力の一つだと思います。そして、それが理解できる、心と時間の余裕を持った自分でありたいものです。たとえばそんな風に寝かせて美味しいベルギーのビールを愉しんでみて頂けたらと思います。

ここはアメリカでもベルギーでもなく、日本です。両方のお酒が楽しめる場所ですから、場合に応じて上手にビールと付き合えば良いと思います。その時にちょっとで良いので「時間」を意識してみては如何でしょうか。