お礼と雑感

8月13日、14日とイベントに参加しました。台風が上陸して荒天となったり、強い日差しで厳しい暑さになったりしましたので出店者のみならずご来場の方々も大変だったと思います。過酷な状況にもかかわらず私どもブースにお立ち寄りくださいました皆様、誠にありがとうございます。深くお礼申し上げます。

新作ではBeyond Beer(ビヨンドビール)という非常にニッチなトピックを取り上げましたが、海外の潮流は確実にここ日本にもやってきていて、それが広まることでコアであるビールにも影響を与えます。それらは相互に関係しているのでクラフトビールを含めたビールの外縁を記述することで新たな輪郭を与えることが出来るのではないかと考えたのでした。その試みが成就したかどうかは定かではありませんが、お酒の後ろに流れる文脈を知る一つのヒントになってくれるであろうと信じております。

BASEにて運営しているCRAFT DRINKSの本屋に在庫を戻しました。新刊「Beyond Beer クラフトビールのこれからを考えるヒント」を含め4点アップしております。ご確認頂ければ幸いです。

さて、2日間イベントに参加して考えたことがあります。新型コロナウイルス対策で人数制限もされて全体的に穏やかな会でしたが、その分まったりしていてゆっくりとお話が出来ました。とにもかくにも私としてはこのようなリアルな場があるというだけで嬉しかったです。日常には無い、こういう場での他愛もないちょっとした会話がとても有り難く、嬉しく思いました。

会場に知人が来てくれてブースで色々と話をしたのですが、そこで話題に挙がって強く考えさせられたのが「分かりやすさ」についてです。ブースに立ちながらぼんやりと「分かりやすいというのはどういうことだろう」とずっと考えていました。

思うに、私の書いたものはおそらく分かりやすくありません。正確に言うと、読み手に対して暗に求めている前提が多くて非常に面倒くさいものだと思います。クラフトビールをはじめとするお酒を切り口に人の営み、思想、美意識などについて考え、そのぼんやりとしてよく分からないものになんとか輪郭を与えようと苦心しています。けれども、その描こうとしている姿が多面的であるからこそ、言葉は増えるし、その表現は簡単ではなくなってきてしまう。自分なりに出来る限り平易に綴っているつもりではあるのだけれど、結局のところそこまで分かりやすい形にはなっていないのかもしれません。私自身の筆力不足について深く反省するところです。

それとは別に思うことがあります。今「分かりやすい」と言われているものの裏側に「最短距離で完璧に理解できることが良いことだ」という価値観があるのではないかという疑問です。世の中断言出来ることなどそれほど多くないと最近つとに思いますが、世が求めるのは多少矮小化したとしてもズバッと断言した分かりやすさなのかもしれません。これについては功罪あってなかなか悩ましい問題です。

たとえばビールを単なる麦芽発酵飲料ではなく、人類の叡智の結晶、歴史の産物というような一意ではない何かだとするならば、その多義的な文化体系を短く簡潔に、そして分かりやすく説明出来るのだろうか。そもそもお酒などというものは分かりやすいはずがないのではないだろうか。私にとって分かりやすいことと他者のそれは同じなのか。分かりやすさと分かりにくさはそれぞれ何に起因するのか。答えの出ないこんなことを一昨日からずっと考えています。

今に至るまで数多くの人々がお酒について語ってきましたが、それでもなお「分からないけれど、何故か惹かれてしまう魅力」がそこにあって、語り尽くせないからこそ愛おしいのかもしれません。きっと一生終わらないのでしょう。拙い文章ばかりで大変恥ずかしいのですが、これからも私なりに一生懸命綴って参りたいと思いますのでお付き合い頂ければ幸いです。どうぞよろしくお願い致します。