「好みの問題だから」と言うのは思考停止している
先日、ブームだからこその危機感と題して投稿をしました。今現在、のべ7000人以上の方に読んで頂いておりまして、非常に驚いております。様々な方から色々なご意見を直接頂戴したり、SNS上でシェアして頂きました。潜在的に私のような危機感を持っていらっしゃる方が多数いらっしゃることが分かっただけでも嬉しいです。
その中で、一点に気になるものがあったので今日はそのことについて私の考えを書いておきます。
「まぁ、好みの問題だから」
これ。この言葉は極めて危険。完全に思考停止。進化をやめた発言です。この世にビールは3種類しかない(笑)という投稿で、私はこう書きました。
「旨いビールとマズいビールと、どっちでもないどーでもいいビールだよ」
まぁ、これは例え話ではありますが、「飲める」という前提での話です。当たり前ですが。「まぁ、好みの問題だから」と言って、飲めない出来損ないまでも含めてはいけません。
飲めない<<超えられない壁<<マズい<どっちでもないどーでもいい<旨い
この図式は絶対です。だから、飲めないものまで含めたような形で「まぁ、好みの問題だから」という発言をするのは危険だと思います。とりあえず、飲めるものの話をしましょう。好みはその先の話ですから。
とはいえ、こういう発言は「直接的批判をせず、なんとなく穏便に済ませる」という日本人らしい奥ゆかしさのようなものからなのでしょう。そんな気がしないでもない。でも、それではいけないようにも思います。この言葉で関わることを放棄しては何も変わらないのだから。
黙っていてはもったいないのです。素晴らしいものは手放しで褒めるべきですし、ダメなものにはなぜダメと感じたのかを語るべきでしょう。そこにインタラクティブなコミュニケーションが生まれ、その結果作品の精度は確実に上がっていくはずです。クラフトビールは単に醸造家が醸す麦の醸造酒なのではなく、もっと大きなものであるはずです。シーンに消費者が強く主体的に関わることでより良くなっていく存在だと思っています。私ももっとたくさんの人と美味しいものについて話がしたいです。