ブームだからこその危機感

昨夜、久し振りに酷い国産クラフトビールを飲みました。体が受け付けないほどの出来損ない。飲み物として成立していない。一緒試した私の奥さんが「終わってるどうしようもないビールも多いけれど、始まってないビールは初めてかもしれない」と言っていました。笑うに笑えないのです。

昨年あたりからクラフトビールは本当に注目されていて、この季節から秋まで全国各地でビールイベントが開催されます。また、東京、大阪のみならず、全国にクラフトビール専門店やブルーパブもかなりの勢いで増えつつあります。クラフトビールがより身近になってきたことはとても良いことで、携わる者として喜ばしく思います。

しかし。

発酵しきっていなかったり、汚染されていたり、提供に値しないほど劣化しているものがまだまだ散見されます。私はブームだからこそ危機感を覚えます。大袈裟ではなく、大真面目にそう思うのです。

真面目にコツコツちゃんと醸しているブルワリーも、どーしょーもない出来損ないばかり量産しているブルワリーも等しく「クラフトビール」を作っていると世間一般には認識されてしまう。これからクラフトビールというものに初めて触れる人が増える状況で、これはマズい。

「大手以外のビールも色々あるんだね。ふーん、飲んでみようかな」

ゴクッ。

「んー、なんか変な味。妙に苦い。濁ってるし、雑巾っぽい臭いがするなぁ。うーん、なんていうのかな、とりえあず美味しくはない」

もう一回、ゴクッ。

「クラフトビールってこんなもんなのかな。よく分かんないけど、高いしそれほど美味しくないなぁ。飲み進まないねぇ、これだと」

たとえばこんな感じで未来のファンが激減していく。悪化が良貨を駆逐するとは正にこのことで、ちゃんとした作り手の足を引っ張るビールがまだまだ多いのは事実としてある。

20年前に免許緩和があって第一次地ビールブームが来ましたが、それもほどなく終息していきました。2000年代前半は氷河期。立ち行かなくなる醸造所が増え、バタバタと閉鎖していったのです。何故、あの頃ブームで終わったのか?定着しなかったのか?これをもう一度考えてみる必要があるのではないかと思います。今、間違いなく第二次ブームの真っ最中なのだから。

美味しいものを飲んで怒る人はいません。笑顔を生むビールだけが欲しいなぁとただただ思うのです。