どうしたら超高級ビールが売れるかを考えてはみたものの・・・
こんな投稿を見たのでちょろと書いてみようかと思い、特に下準備もなく綴ってみます。
つい最近とてもお高い日本酒を飲んだのですが、ビールで容量四合瓶サイズ、麦芽・ホップ・酵母・水で作って10万円の価格設定ができるようにするにはどうすればいいか考えてる。
(思いつかない) https://t.co/QPTGnXuAMc— けだまファミリー (@kedamafamily) June 5, 2024
これはとても重要な問題提起です。私もいつも考えますが、まだ結論は出ず。恒常的に低利益のクラフトビール産業において高級化という方向性は必然で、すでに高いと感じる消費者が多いけれども今以上に価格を上げていかないと会社が成り立たないという現実もあります。さて、どうしたら良いのか…
10万円かは一旦置いておいて、これまでに発売されためちゃくちゃ高いビールの事例を洗ってみても良いかもとは思います。Utopias、Screaming EagleのHANABI、BrewdogのThe End of Historyなどなど。日本だと伊勢角屋のDIGNITYや999headsという取組みもありましたね。
これらは何故めちゃくちゃ高くても売れるのだろうか?コツコツと個別に事例研究をしていくと見えてくる何かがあるかもしれませんが、それぞれ別の理由や前提がありそうなので共通点を見出すのが難しい気がします。「あのブランドだから出来たんだよ」という話になってしまい、私には再現性が無いように感じられるのです。まぁ、丸パクリ出来るならすでに誰かがやっているはずですし。
突破口の一つとして思い浮かんだのは技術力です。拙著クラフトビールの今とこれからを真面目に考える本 改で参考になるのではないかと挙げたのは日本酒2種で、楯野川の光明と獺祭の磨きその先へです。これらは精米歩合の極限へ挑戦した技術の結晶と呼んで差し支えないでしょう。技術的先鋭化や先進性、それによる唯一無二の存在感によって実現する可能性はあると思います。ビールにおいて技術的先鋭化が具体的に何になるかをブルワーさんに聞いてみたい今日この頃です。
他方、忘れてはならないのは買う方の思考でしょう。仮に技術的先鋭化が実現したとして、それによって何がどこまで達成されたか買い手が理解し、「凄い!」と驚嘆しなくては10万円は支払うことはないでしょう。もしそうなら高級化とは深い科学コミュニケーションを前提に成立するのかもしれません。
となると、やっぱりホームブルー合法化しないとダメなのかもしれません。ホームブルーが出来ないままだと原料・醸造等々に関する自主的な学習をするインセンティブが働かない気がします。ここ日本ではホームブルーは違法なので今この手法を採ることは無理です。さて、どうしましょうか。
別の考え方もあるように思います。たとえば顕示的消費です。「必要性や実用的な価値だけでなく、それによって得られる周囲からの羨望のまなざしを意識して行う消費行動」と言われます。実際人間にはそういう本能があっていつの時代も他人によく思われたいと考えるのでしょう。少々品がない感じもしますが、それで経済が回っている現実もあるので全否定するのも難しい。
アテンションエコノミーとも近い考え方かと思います。SNS全盛の今、たとえばInstagramに上がっている写真の裏側に「いいね!が欲しくてたまらない気持ち」が透けて見えるものが少なからずあります。バズる写真の撮り方を指南する情報が溢れているということはそれだけ強い欲望があるという証拠でしょう。ビールでそれを充足することが出来るならば、つまりたくさんの「いいね!」が集まるならばめちゃくちゃ高いビールが売れるかも…とちょっと想像したのでした。みんなが羨むものになってSNSでバズることが期待できれば高くても買う人が現れるのではないか、と。
…こう考えると最早美味しい必要は無いですね。急に考えるのがバカバカしくなってきました。私は地に足のついたもの、実生活と切り離せないものとしてのビールが好きなのでそういう存在になって欲しくないと改めて思います。ただ、思考実験としては大事だとも思うし、定期的に考えるべき事柄なので、いつか読書会でこのテーマを取り上げてみんなでヴェブレンやボードリヤールなどを読んでみようかしら。
まとまりのない文章になってしまいましたが、すでに高いクラフトビールを更に高くして売れるようにするのはなかなか大変だということだと思います。