コロナの影響がクラフトビールにも

2017年にクラフトビールが輸出重点品目に?と題してクラフトビールが輸出の重点品目に選ばれたことをお伝えしました。この取組みはJETROの下部組織であるJFOODO(日本食品海外プロモーションセンター)によるもので、海外消費者向けのプロモーション強化を通じて需要を喚起し、日本産品の輸出拡大を目指して活動していました。

クラフトビールに関して言うと主にアメリカ向けに国内のブルワリーおよびそのビールを紹介するウェブサイトを作成したり、2017年から毎年商談会を行うなどしていたのですが、2020年は新型コロナウイルスの影響でリアルな場を設けることは出来ずオンライン商談会という形になりました。

さて、今年はどういう形になるのだろう?と思っていたら、、、、2021年度プロモーション 参加事業者募集のご案内からクラフトビールが無くなっているのです。がーん。

JFOODOにこの件について直接問い合わせをしたところ、クラフトビールは一般消費者向けではなく事業者向けの施策を行ってきましたが、新型コロナウイルスの影響で外食産業が止まっていたりするので今年は一旦中止となったと伺いました。状況が変われば来年以降再開の可能性もありそうだということですが、果たして・・・

個人的にこの取組みには大いに期待していたので非常に残念です。来年復活することを心から願っています。というのも、少し長い目で見た時に国産クラフトビールの海外輸出は避けては通れない大きな課題だからです。

2008年をピークに日本の人口は減少フェーズに入っていて、年を経るごとに飲酒可能人口は確実に減っていきます。新規ブルワリーの開業もここ数年ずっと続いていて供給側はどんどん充実していく一方、消費者の絶対数が徐々に減っていくという流れに少々不安を覚えるのです。お酒それ自体を飲まない方も増えています。また、消費者の嗜好も多様化が進み、それに合わせてワインや日本酒、ウイスキーやカクテルなどお酒を飲むにしてもものすごいバリエーションになりましたからクラフトビールの拡大が他ジャンルのお酒から消費を奪うことと同義になるかもしれない。敢えて単純化して言えば、増加し続けるプレーヤーが縮小していく市場を奪い合う世界が待っていてもおかしくないのです。ちょっと悲観的すぎるかもしれないけれど、状況証拠からこういう流れを考えることはあながち間違いだとは言えないと思う。

もちろん日本にはまだまだクラフトビールをご存じない方、知ってはいるけれどまだ一度も試したことの無い方も非常に多く、クラフトビールに関する啓蒙活動、草の根運動がまだ足りないのは言うまでもありません。そちらの活動を推進することが絶対に必要なのは明らかです。しかしながら、このプランAに対するプランBとして海外輸出、すなわち異なる市場を求めて打って出るという選択肢も実際にあるし、プランAをベースにしつつ将来に対する布石としてプランBについても具体的に動いていくことがそれなりの規模感の事業者にとってはリスク分散に繋がるように私は考えています。

日本の非大手のブルワリーは基本的に小さなところばかりで自前で海外販路を開拓していくことは容易ではありません。私が見ている限り人的・資金的リソースを割く余裕があるとは思えず、その意味でJFOODOという機関による海外展開サポートが無いというのは非常に痛い。状況が好転していくことを切に願います。

さて、別の視点での考えについても少々綴っておこうと思います。ものは考えようで、この状況をポジティブに捉えることも出来るのではないか?という気もするのです。

昨年までのJFOODOの取組みは海外、特にアメリカに対して「日本産クラフトビール」を”Japanese Craft Beer”と表現してアピールしてきました。Craft Beerというカルチャー発祥の国であるアメリカに日本という異文化圏からのクラフトビールを紹介する、というわけです。それ自体挑戦しがいのある試みだと思う一方で、そもそも日本で作られたクラフトビールを大きく「日本産クラフトビール」と括ることで表現される固有の何かがあるのか?とか、その総体がアメリカのそれと異なった文脈を構築し、体現しているのだろうか?という疑問も無くはない。実際こういうことについてあまり議論がなされていないように思うのです。

言い換えると、アメリカでも、ベルギーでも、ドイツでも、イギリスでもない「日本のビールに通底する日本らしさ」はあるのだろうか?そして、あるのだとしたらそれは何なのか?という話です。たとえば、米や柚子、味噌や醤油を使うことが日本らしさを表現することになるのかどうかについて考えてみるのも損ではないように思うのです。取組みが一旦停止している今、多くの人を巻き込んでこういうことを様々な角度から議論し、あらゆる可能性を検討するための時間がやってきたのだと前向きに解釈してはどうだろうか。

議論の結論として「日本らしさ」など無いとなるかもしれない。それならそれで良いと思う。それを前提として次のことを考えれば良いのだから。その方向で行くのがダメだと分かっただけでも一つの進歩です。そういう議論の繰り返しが今後の活動に何かしら良い影響を与えるはずだと個人的には信じている。