ハイコンテクストな日本とローコンテクストなクラフトビール

ハイコンテクスト・ローコンテクストという考え方があるそうで、wikipediaの高・低文脈文化ののページではこう説明されています。

高文脈文化のコミュニケーションとは、実際に言葉として表現された内容よりも言葉にされていないのに相手に理解される(理解したと思われる)内容のほうが豊かな伝達方式であり、その最極端な言語として日本語を挙げている。一方の低文脈文化のコミュニケーションでは、言葉に表現された内容のみが情報としての意味を持ち、言葉にしていない内容は伝わらないとされる。最極端な言語としてはドイツ語を挙げている。高文脈文化はより抽象的な表現での会話が可能であるが受け手の誤解などによる情報伝達の齟齬も生じうる。他方、低文脈文化では具象的な表現を行い、会話の文中に全ての情報が入っているため、行間を読む必要もなく、受け手は理解できる。

高文脈文化、つまりハイコンテクストカルチャーは文脈に依存した認知、つまり「言外の諸条件をすでに相互に理解した状態から、もしくはそれを期待することが前提に始まるコミュニケーション」と言い換えても良いのだと思います。上記wikipediaでも指摘されているように日本語はハイコンテクストであり、日本人は基本的にハイコンテクスト環境下にいると思う。空気を読むということはこういうことかもしれないなぁ。

他方、低文脈文化、つまりローコンテクストカルチャーは相互理解が必ずしも毎回精度高く成立しないから誤解の無いようちゃんと語らなければならない。面倒くさいけれど、互いに違う別々のカルチャーで育ってきた二人が出会ったらローコンテクストな形でやりとりをすることにならざるをえない。まぁ、ビジネスにおいては当たり前のことなのですが、日本人は結構こういう異文化理解が苦手に見える。同じ日本人同士でも職業・立場によって常識が違ったりするから言質を取っておかないと後出しジャンケンになってプロジェクトが大炎上することもしばしば。たとえば外国の何かにつけて契約書を交わす文化というかメンタリティはローコンテクストであること、つまり空気なんて読んでくれないし不当に曲解されるのを防ぐ為にきっちり明文化する方が合理的であると考えてのことなのでしょう。

ところで、今日本ではクラフトビールが流行していると言われていますが、肌感覚としてそこまで爆発的な勢いがあるわけではないような気がするのです。ビール祭りに行っても昔感じたほどの熱量が無い気がしてならない。これはなぜだろうか?とここ最近ずっと考えていて、一つの仮説に辿り着きました。

日本というハイコンテクスト環境に生きている中で「未知なるもの」が突然投入されてきたとしたら、理解不能で「なんじゃこりゃ?」になってしまう。前提が無いまま始まるので戸惑ってしまうわけですね。戸惑いは基本的に快ではなくて、不快です。そのモノや体験に対してポジティブではなく、ネガティブになりやすくはないだろうか。スタートがマイナスから始まりやすい気がしてならないのです。

たとえば、クラフトビールが飲んでみたくてwebで検索してみたら近くに一軒見つかったとします。たまたま入ってみたらマニアの集うクラフトビールバーで、そんな中に1人ぽつんといたらなんだか気まずい。みんながビールに対して熱く語っているところに一切入り込めなくて非常に気まずい思いをする。その体験に引きずられてクラフトビールに対する感情もポジティブになってはいかないだろうと想像するわけなのです。

1億2千万人いる日本人全員に等しく高いクラフトビールのリテラシーを持って頂くことは難しい。現実的にはマイクロ単位のコミュニティが生まれ、その中で杯を交わす間にクラフトビールに対する自身の考え方や捉え方が変化してくるのだと思う。飲み屋だったり、消費者サークルだったり、web上のグループかもしれません。その形態は様々だろうけれど、上手にローコンテクスト化してくれる人が側にいないとなかなか難しいような気がしているのです。

その昔、新入社員の若い子が会社の先輩のおごりで分不相応な高いお酒を飲む機会がたくさんあったそうです。多くの場合お説教付きなので楽しいものでもないのでしょうが、酒場のしきたりや良いお酒に関する体験を積むことは人生において何かしらプラスに働いてくれるはずだと考えています。先輩方は若い子をたくさん連れ回し、後輩は若いうちに一杯奢ってもらいましょう(笑)それは半分冗談としても身近な人、著名な方に教えを請うというか、新しい世界を噛み砕いて見せてもらうことはその後の発展スピードが劇的に違うと自身の体験からも確信しています。何でも構わないのだけれども、とにかく良いきっかけが必要だとは思う。

私たちはハイコンテクストを要求する世界で生きているけれども、分からないものは分からないのだし、初めから知っている人など1人もいない。マニア向け、言い換えると「日本語とクラフトビール両方においてハイコンテクスト化された関係性」とはまた違ったアプローチとして「初めてのクラフトビール体験を絶対に成功させるデザイン」が必要なのではなかろうか。今現在、CRAFT DRINKSはそんな方向性について考え始めています。

おそらくそれは「初心者必飲!押さえておきたいクラフトビール10」みたいなまとめサイトのテキスト情報ではありません。きっとそのページのリンク先で買ったビールでもない。それはあまたあるうちの条件の一つであって、絶対に必要なのは「一緒に飲む相手」なのだと思うのです。苦いとか甘いとか、美味しいとかイマイチとか喧々諤々言い合いながら飲むから楽しいし、他人の評価と自分の意見をすり合わせることで自分のものさしが明確になってきます。その中でローコンテクストな認知を得て、いつしかそういうコミュニティがクラフトビールにおけるハイコンテクストコミュニケーションを獲得し、こういう体験をすることで更なる深掘りが出来るのではないだろうか。

一人ひとりに合わせた噛み砕き方が出来る人間が運営するビアパブは本当に大切な存在です。そんなことはまだAIに出来ないからとても価値の高い経験が生み出される貴重な場所です。クラフトビールに開眼した、エンゲージの強いお客様をもっと増やしていかねば一時のバズワードとして消費されてこのブームも早晩終わってしまうと危惧しています。環境はハイコンテクストなのにクラフトビールが求めているのはローコンテクストだから、そのちぐはぐさ故の妙な居心地の悪さがクラフトビールから人を遠ざけているように思えてならないのです。その意味でいうと、ローコンテクスト化してくれる最前線の存在としてのビアパブという場はある種アカデミックであって欲しいとつくづく思います。日本のクラフトビールシーンをハイコンテクスト化する為には丁寧に語りリアルタイムに体験を共有する文化、一言で言えばクラフトビールを一度ちゃんとローコンテクスト化しなくてはならないのだと考えます。そう、酒場はある種学校のようであって欲しい。