【転載】アマチュアによる一次創作、二次創作のない世界はどこに行くのか

SNSのタイムラインにこんなものが流れてきたのでちょっとホームブルーに関して綴っておこうと思います。

以前、お金で買えるビール 買えないビールでホームブルーの有無がどういった影響を与えるのかについて書きました。トピックは多数あってそれを全てここでご紹介することは出来ませんが、その一部を上記の本から転載します。なお、同書で私は「作品/商品」を区別して考えていて、お金で買えないビールというアマチュアの作品にコミュニティ(正確に言えば、売り手を含まないファンダム)の源泉を見ています。

はじめに

先日のことです。アメリカのホームブルー(自家醸造)事情に詳しい方から伺いました。本書はその話から始めたいと思います。私はこの話を聞いて、全く新しい視座が得られたような気がしたのでした。
その方がアメリカに行った際、知人のホームブルワー(自家醸造を行う人)が自作のビールを持ち寄って仲間と試飲勉強会をするので一緒に行こうと誘ってくれたそうです。現場に行ってみるとプロとしてすでに活躍しているブルワーが商品として販売しているビールを持参していて、互いのビールを試飲しながら談笑していたのでした。アマチュアのホームブルワーとプロブルワーは趣味と仕事という違いはあるけれども、断絶しているわけではなく寧ろビール醸造という点で一致しているからこそ立場の壁が溶けてシームレスに繋がっている、と私に語ってくれました。
免許を持ったブルワリーで商品としてビールを作ることもキッチンでホームブルーをすることも原則同じことであり、規模の大小以外に基本的な違いはありません。プロであっても酷いビールを作るブルワーもいれば、プロでなくても素晴らしいビールを醸すホームブルワーもいて、アウトプットであるビールの出来、品質こそが評価されるべきポイントなのだということがこのエピソードに現れていると私は感じました。ビールにおいてはとにもかくにも是々非々、というわけなのです。
ふと気がつけば、私達日本人は商品としてのビールしか知りません。言い換えると、日本には商品でないビールが存在しておらず、それが想像できません。そのことで外国と何か違いは生まれるのだろうか。その上で商品というものは私達にどんな影響を与えているのか。今回主にアメリカと比較をしながら、ホームブルーを論の中心に据えてクラフトビールとそのシーンについて考えてみたいと思います。端的に言えば、お金で買えるビールと買えないビール、それぞれどういう意味を持ち、それが私達の認識に関係しているかということを検討してみようという試みです。

さて、それではホームブルーが無いとどういうことになるかを想像してみたいと思います。

アマチュアによる一次創作、二次創作のない世界はどこに行くのか

コミックマーケットに出始めて4年ほど経ちますが、いつも思うのはアマチュアでありながら異常に熱量の高い人達がこれほど多くいるのかということです。ジャンル問わずオリジナル作品、元ネタのある二次創作作品を発表する場として機能し、サークル参加者同士はもちろん一般参加者とも頒布という形式で交流が行われます。思えば、コスプレを披露する人も会場にはたくさんいますが、あれは自分自身を利用した二次創作でしょう。

やってみたいなという軽い気持ちも受け入れてくれますし、本気も受け止めてくれるので熱量さえあればあらゆるものがあそこに集まります。そして、互いに刺激を受け合い、成長、進化していくのではないかと思います。それがお金で買える商品ではなく、あくまでもサークル費での頒布という形式が素晴らしい。税務署が訪ねてくるほど稼ぐサークルもあるそうですが、基本的に一貫したアマチュアリズムが通底していてそこに商業出版にはない大きな魅力を感じるのです。

ビールに話を移しましょう。美味しいビールは人を感動させます。これはビールを愛する人であれば誰しも納得してもらえるでしょう。憧れの人がいれば服装や髪型を真似してその人になろうとするもので、自分に感動を与えてくれたものを自分でも作ってみたいと思うことはとても自然です。けれども、ビールはお酒なので日本ではそれが叶わない。非常に残念なことです。

商品しか無い世界ではいくら儲かるか、いくら儲けなくてはならないかを意識しなければならず、そのために当人の意向に反して売れ線を狙うことが常態化します。その結果、売れないかもしれないけれど新しい文脈の構築、過去の文脈の再構築のためには赤字でもやらねばならないという制作が行われなくなっていくのは想像に難くない。事実多くの地味で古典的なものが終売になって以後全く飲めなくなり、代わりにアメリカでの人気にあやかって現在ヘイジーIPAばかりが作られて売れ線に全体が収束しつつあるように感じられて仕方ありません。スタイルの多さを根拠に多様性を謳いながら発散ではなく収束に向かっているのはなんとも皮肉な話です。

いくつか実験的な興味深いものがリリースされてもそれはどうしても消費される商品でしかなく、飲む専門のマニアには伝わってもアマチュアに影響を与える何かにはなりません。直接的には免許を持って合法的に醸造できる同業者へ影響を与えるだけになってしまいます。日本には1億人以上住んでいるのに700軒ほどのブルワリーにしか伝播しないなんて寂しすぎます。

アンダーグラウンドから湧き上がってくる熱量の高いビールが無い以上、次世代を担うブルワーがどんどん生まれてくることもなく、ビール自体も人気ビアスタイルへの収束と共に売れ線を意識するあまりイマジネーションの枯渇も心配になるのです。そして、そのイマジネーションをアメリカのトレンドで補うというのも主体性が感じられなくてつまらない。フルスイングして圧倒的な熱量が込められていたらジャンル分けに困ったとしてもその絶対値の高さそれだけで評価されると私は考えるので、今の状況をかなり深刻に捉えています。

その熱量が今や世界中に伝播しているのだから冒頭でご紹介した意見には大賛成です。アマチュアが増えてプロによるビールの消費が減るどころか、リスペクトの対象になってその凄さはもっと広く伝わることでしょう。

しかしながら、法律はそう簡単に変えることが出来ませんから、二面作戦が必要でしょう。まず第一にホームブルー合法化に向けた長期的な行動していくこと。次に、現行法制度下において出来ることを検討し、それを実践していくことが挙げられます。私は前者ではなく後者を採り、仲間との飲み会を企画したり、文章を書いて発表したり、クラフトビール文献読書会を主催しているわけです。この活動がどれほどの意味を持つかはまだ全く分かりませんが、やらなければ何も始まらないのでぼちぼち続けていけたらと思います。

なお、次回読書会は6月23日です。今回は試験的に3部制でやってみます。詳細はこちらでご確認くださいませ。今月はネタが決まっているのですが、ホームブルーに関する議論は近々行いたいと思っています。リクエスト、ご提案があったらお気軽にどうぞ。皆様のご意見ならびにご参加お待ちしております。