普及と性善説とその狭間

新型コロナウイルスの蔓延によって私たちの生活はかなり影響を受けました。それに伴って産業も大きく変化し、クラフトビール業界も変わったと思います。たとえば家飲み需要の増加によって瓶、缶のクラフトビールが増えたのもその一つでしょう。

すでに報道されているようにリバウンド防止期間も終了となり、酒類提供の制限は無くなり完全に元に戻りました。時間を気にせずパブで樽生を楽しむことが出来るようになるのはいつ振りだろうか。本格的な冬の到来を前に第六波の来襲が懸念されるものの、日常が戻ってくることを今は素直に喜びたいと思います。

さて、大手ビール会社からクラフトビールと呼ばれるものが瓶、缶で多数投入され、「クラフトビール」という言葉はコロナ禍にあっても一般の方々に広まりました。今後ますます外食産業にも広まってくると思いますが、その普及に伴い、熱意が先行するというよりも商材としての魅力を重視する方が増えてきたような気がしています。ブルワリーも酒販店も、もちろん飲食店も儲けが出ないと継続していけないのでそれ自体を否定するつもりは全くありません。ただ、以前であれば暗黙の了解だったはずのことがなかなか共有されなくなってきたのかもしれないと思うようになったのです。

ケグはちゃんと返そう。空樽がブルワリーに返って来ないと新しく詰めることが出来なくてブルワリーが困ってしまう。
ケグに直接送り状を貼ったりするのはやめよう。ケグはブルワリーから借りているものだし、剥がして洗う作業を無駄に強いることになってしまう。

たとえばこういうことなのですが、振り返って考えれば、今までは性善説に基づいて商流、物流が構築されていたわけです。人と人との間に生まれる信頼がその根拠となっていました。しかしながら、クラフトビールの普及と共に上記のようなトラブルが散見されるようになり、「あれ?もしかして性善説だとダメなんじゃないの?」と思うこともしばしばです。

性善説ではなく性悪説に立って考えてみると、たとえばケグに関しては保証金の問題が出てきます。ナショナルブランドの大手ビール会社でも1本1000円の保証金を取るのが通例となっています。正確に言うと、納品してくれる酒販店に1本あたり1000円を預け、返却時に1000円が酒販店から戻ってくる仕組みです。返却しなければ戻ってこないお金ですから、この1000円を預けることが返却を促すきっかけにもなります。行動を促すためのデザインになっているわけですね。

これに対して国内のクラフトブルワリーでケグの保証金を取っているところはゼロではないけれど少ない。売上では無い預り金なので会計処理も面倒だし、よく知る相手にケグを卸しているのであれば「まぁ、あの人のお店だし保証金は不要でしょ。すぐ返してくれるだろうし」と思える。保証金の仕組みそれ自体は何か新たに価値を生むものではありませんから、無くて良いならそれが一番良い。おそらく今まではそういう形で運用し、大きな問題もなく済んでいました。

人間という生き物は複雑で、無料のものはあまり大事にしないものです。自腹を切って手に入れたものはそれ相応に思い入れも生まれるし大事にするものですが、タダのものは案外雑に扱う。「タダだったし、まぁ、いいか」となりがちです。「仕入れたのは中身のビールであり、ケグ自体はブルワリーから借りている」ということを案外忘れやすいのかもしれない。殊更大声で言う必要の無いことなのだけれど、やはり敢えて言わないといけない状況になった可能性はある。

結局現状ではブルワリー側が泣き寝入りすることも少なくないだろうし、目に見えないところでブルワリーに無駄な作業をさせているのだとしたらそれは問題です。労務コストが上がればそれは販売価格に転嫁されるかもしれないし、少なくともブルワーの皆さんを疲弊させることになります。彼らには美味しいビールを醸すために汗をかいてもらうことこそがビールファンの幸せに資することなのだから飲食店がその足を引っ張ってはならないでしょう。

つまるところ、これはコミュニケーション不足が問題であり、取引開始の際の条件などを丁寧に説明し、双方合意の上で卸を行わねばならないのです。当たり前の話なのですが、この辺りがいつしか雑になってしまったに違いない。一度仕切り直すなりして確認するべき時期が来たのかもしれませんね。

広く普及してくれば当然ガチ勢だけでなくライトユーザーもいます。こういう話を改めてしなくてはならない状況になったということはそれなりに普及してきた証拠でもあり、そう悲観ばかりする必要もありません。ちゃんと毎回丁寧にやる、それを徹底すれば良い。性善説に基づく行動をするのかどうかは各ブルワリーの判断だからここで私が言うことは無いのだけれども、理想を言えばやはり性善説なのだと思うし、そうすることでシーンの健全な発展が促されると考える次第です。