書評 「酔っ払い」たちの日本近代 酒とアルコールの社会史
ご恵贈頂き、拝読しました。クラフトビールを起点に人と社会を研究している身としては非常に勉強になりました。お酒とは社会の在り方を大いに反映するものなのだということを改めて痛感します。
本書は近世、明治、大正、昭和と時代ごとにお酒の飲まれ方を様々な資料と共に示すと共に、それを成り立たせる社会の形が描かれます。その表面を記述するだけでなく、社会の内側を統御する心理も描き出すことによってお酒というものの捉え方が時代ごとに大きく異なることがよく分かります。かつてお酒には反生産的・反理性的な泥酔による日常からの逸脱が求められ、農村から都市部に視点が移動すると給与生活者としての労働意識が内面化されてお酒を飲むということが労働と生産の秩序に縛られる様が示されます。また、20世紀に入ってからは労働力の再創造のためにガソリンとして飲むお酒という位置付けにもなりますが、いつしかビールが覇権を握り、遂にはノンアルの時代にもなりつつあることが語られます。お酒の消費形式という目線で社会を眺めるとこのように整理出来るのだな、と感嘆したのでした。
私はクラフトビールを主に扱っているので、第5章と「おわりに」が特に興味深い部分でした。日本酒からビールへとお酒消費の中心が変わりいく中で世はバブル、そしてその崩壊を経験します。そして、その後やってくる21世紀の肌感覚として「都市勤労者たちのこうした酒離れ、泥酔離れは、かれらにとってのアルコールの生産的な価値が、少しずつ後退をはじめていることの徴候として解される。今日の都市勤労者たちにとって、アルコールは、反生産的な液体でも、生産的な液体でもない、たんなる液体へと、少しずつ変貌しつつある」(P198)という指摘は頷くしかありません。社会の変化は年を経るごとに早くなり、それに合わせてお酒の消費形態も変わっていくでしょう。社会とお酒はどのようになっていくのだろうか。
日本酒からビールへと消費の中心が切り替わり、現代のノンアルにも触れていました。射程が近代であって現代ではないから本書では触れていないことなのだけれども、21世紀にはノンアルの勃興の裏で真逆の存在であるストロング系缶チューハイの人気もあります。また、クラフトビールをはじめとする新しいジャンルのお酒も続々と登場しており、それらはどのような社会の要請から生まれ、受容されたのかについては非常に興味が湧きました。著者の次回作として是非取り組んで頂きたい。
なお、蛇足ながら少々。近畿大学の関先生の論文でストロング系RTDについて分析がなされています。世相について分析したものではないが、興味深い指摘がなされています。チューハイが登場した1980年代には「健康的」で「ソフト」な飲み物として売り出されていたというのです。本書で紹介されていたビールの登場時の扱いとシンクロする。