今クラフトビールシーンに足りないもの 新刊「クラフトビール メタ技術論」のチラ見せ

先日の文学フリマで発表した新作の「クラフトビール メタ技術論」について少々ご紹介します。手前味噌ながら割と大事な話をしているのではないかと思っております。今の閉塞感を打破するには技術そのものを論じる技術論ではななく「メタ技術論」が求められるのであり、それが社会に浸透した結果、たとえば現在たくさん語られている「クラフトビール初級編」のような言説から脱することが出来るのではないかと考えています。

現在、私どものECサイトで取り扱い中です。お読み頂ければ幸いです。

本書では様々な角度から論じておりますが、ここでは「初級編」についての部分を掲載します。お目通し頂ければ幸いです。

 

3.メタ技術論で変わる「初級編」

こうしたメタ技術論の社会実装によって何が変わるかと考えると、その一つとして私はウェブや書籍に氾濫する「初級編」に関する言説が変わっていくと予想しています。現在、様々な形で「初級編のクラフトビール」に関する記事が生まれていますが、面白いことに「初級」ばかりがあって「中級」や「上級」が無いのです。「初級編」は上面発酵と下面発酵、国や地域といった既存の言説をなぞり、クラフトビールという体系を代表するものを列挙していて、ちょっと勉強すれば誰にでも出来るものです。問題はその「初級編」の先を誰も語れていないことで、クラフトビールなるものを「初級」、「中級」、「上級」というヒエラルキーに分け、どういった思想や視点で組み替えていくかということに取り組んでこなかった為だと思われます。

妥当な論理でクラフトビールという世界観を構築し、それを提示してくれる人が今までいなかったというのは非常に残念です。また、地ビール解禁から30年以上経ちますが、その間「初級編」の引用と反復によって雑な言説が常に再生産されていることに対して異議申し立てをしてこなかった醸造家やジャーナリストの怠慢があるとも考えられます。

私はこれまでに語られてこなかった技術という視点をここに導入して「初級」ばかりの世界を克服し、「中級」や「上級」というものを提示出来るのではないかと考えています[1]。補論として別途掲載しますが、派手なIPAに比べて地味なアメリカンアンバーエールは現在評価が低いですが、それをクリーンに毎回作り上げることには極めて高い水準の技術が必要なのであり、そうした視点でビールを評価することによってこれまでの価値判断体系とは異なった評価をすることが可能になるはずだと考えるのです。また、サッポロのソラチエースに関しても、状態さえ良ければ高い評価を受けるべきものだと考えています。こちらについても補論として以前書いたものを掲載します。

およそ芸術一般はそのようにして理解されてきた、ということを思い出したいところです。絵画にしても美しいと感じる以上に、そのタッチや構図、背景にある思想も含めた形で私たちは鑑賞してきました。それまでの時代を支配してきた価値観をどう乗り越えたかが重要であり、それは必然的に歴史的な視点を要求します。ただ単に身体的な快をもたらすお酒であるということに留まらず、それを成立させている諸々の力に関して目を向けることはクラフトビールをもう一歩進めることに繋がることでしょう。これは「ストーリー」とは全く違う次元の事柄であり、それまでの理解を自己反省しつつ、新たな解釈の基軸を持つということに他なりません。何故美味しいのか、どのように美味しいのか、そしてそれを成立させる技術とその卓越性はどのようなものか。こうしたことを語り合うことが出来れば日本における、アメリカ追従型のクラフトビールシーンが日本独自の見解を持ち、次のフェーズへと歩みを進めることになると信じてやみません。

その為の条件として幾つか私の見解を述べておきたいと思います。第一に、醸造家は地元を重要視して定期的且つ長期間技術について語る場を設けること。これは消費者との対話を通じた啓蒙だけでなく、技術、もの作りに関する理解を深めることで未来の醸造家を育てることにも繋がるので、短期的な利益やコストは一旦無視して行うべき事柄です。第二に、限定品など特別感のあるものがもてはやされる傾向から脱する可能性があること。地味に見えるものであっても、その内容としては超絶技巧のオンパレードであることがあり、そういう視点でビールを理解するようになると世間という外部の評価やトレンドが示す価値ではないものが大事であることに気が付けるからです。こうした視点は真っ当に醸された定番品の再評価に繋がり、文化としての長期に渡って定着する基盤を作ってくれることでしょう。第三に、クラフトビールが自己批判することを可能にすることです。技術的卓越性とその意味によって新たな固定的な評価軸が作られるのではなく、更なる技術革新によって価値体系はその都度組み換えられます。消費者各人の尺度は多様化して万人が一番良いと考えるものが生まれず、その代わりに「私の技術的理解では…」、「技術の面から考えて…」という形で様々な意見が出るようになれば、ビアスタイルの多様性が失われてもその解釈や評価の多様性から収束することはないだろうと思われます。

[1] 後述するように、ここで示しているヒエラルキーが新たな正当性を獲得して既存の文脈を代替するものになるのを想定しているのではない。今までの固着した価値観による議論を打破するために様々な視点が与えられるべきであると主張しているのであり、その一つが技術であるに過ぎない。他の妥当な視点が生まれ、社会実装されるのであればそれは歓迎すべきことだと考えている。

 

今週末29日に開催される分倍河原zineフェスに本書含め既刊を持って参加します。見本誌もご用意しますのでご覧頂ければ幸いです。色々お話しできたら嬉しいです。皆様にお目にかかるのを楽しみにしております。