5月23日、COMIC1 BS祭りに参加し新刊を出します

気がつけばもう新型コロナウイルスが流行し始めて1年以上経つのですね。何だか時間の感覚が大分狂ってしまったように思います。

一昨年の今頃ならけやきひろば春のビール祭りだったり、ベルギービールウィークエンドだったりとビール祭りも多数開催されていました。ビール祭りだけでなく、人がたくさん集まるイベントとコロナウイルスは相性が悪く、ことごとく中止に追いやられ、私も応募していたのにComic MarketもComitiaも延期になってしまいました。

まん延防止だったり緊急事態宣言の文脈でお酒が悪者のように語られるのは本当に腹立たしいのだけれども、飲み手の気持ちに余裕がないとただただ酔うだけになってお酒も美味しく感じられないだろうとも思う。世の中ちょっと荒んでいるようにも思うわけなのです。このアンビバレントな気持ちをどう片付けて良いのか分からずに一年が過ぎたような気がしないでもありません。あると知っているものを無かったことには出来ないから困ったものです。

外出することが減った分テレビやネットを見ることが増えました。ワイドショー的と言えば良いでしょうか、派手な文句で事の全体像を意図的に矮小化したり、恣意的な切り取り方をして誰かが有利になるような論調が新型コロナウイルスの蔓延と共に目立つようになった気がします。youtubeのサムネイルにも神がたくさんいるし、究極や至高に溢れていて、最上級表現のすり減り方が半端じゃないなぁと溜息をつくのです。

もうちょっと丁寧に語れば良いのに。分かりやすさが先行しすぎると色々危ないよなぁ。いつもそう思います。けれども、人の時間は有限で出来るだけ多くのものを摂取して比較検討しているだけの暇がないのかもしれない。いや、すでに大量の情報は日々強制的にインプットされています。タイムラインに押し寄せる情報の大波に押し流されないようにするだけで疲労しているのだからそれは仕方ないのかもしれない。忙しない時代を否定しても変わらないのだけれども、何か行動しないと変わらないだろう。それでは何をしたら良いものかと思案している間にamazonでポチッとした本は積ん読のまま増えていく。かと言って、安っぽい神様に手を合わせるのにはちょっと抵抗があったりもするから面倒だ。

この一年、自宅や事務所に引きこもることばかりになったのにこのページへの投稿頻度が随分と落ちました。書くこと自体をやめたわけではなく、日々ちまちまと何かしら書いてはいるのですが、下書きばかりが増えていきます。それはいつしか膨大な量になってしまって、詳しく数えてはいないけれども、十万字はあるのではないだろうか。

以前お話した通りルール違反のコピペも嫌なのだけれども、それ以上に書いたものが読まれたことやその反応がリアルに跳ね返って来ないことが一番苦しい。結局何故書くかというと世の中に美味しいものが増えて私自身が皆さんとカンパイしたいからだろう。人とリアルに対面したいから一生懸命飲んで文章を書くのではないかと最近改めて思います。人に会うための理由を作っているとも言えるような気がする。

そんなこんなで沈んだ気持ちに鞭打って新刊を書き上げました。5月23日、東京ビッグサイトで開催されるCOMIC1 BS祭りに参加します。元々GWに開催予定でしたが、緊急事態宣言を受けて延期となり、来週になりました。東京都からの要請により新型コロナウイルスへの対応でサークル参加者、一般参加者含め5000人を上限に開催されるとのことです。人数制限は致し方ないとは言え、開催されるというだけで私は非常に嬉しいです。現実の場が設けられるということだけで何か込み上げるものがあります。

今回新刊をリリースしますが、ビールのスタイルについて考えてみました。「ビールのスタイルと多様性、感性と言葉」などと大仰なタイトルを付けましたが、そもそもビアスタイルって何だろうとか、ビアスタイルガイドラインって何を目的に作られているのだろうとか、これまでに調べてきたことを下敷きに少しだけ私なりに概念的、抽象的な検討もしてみたものになります。結論は至極簡単で「作って飲んだら語り、会話をすれば良い」といういつもの私の主張に落ち着くのですが、認識の相互補完という関係性について自ら深堀り出来たこと自体価値があったと思っています。駄文書き散らしてばかりで大変恐縮ですが、お目通し頂ければ幸いです。入り口正面の島の三列目、F52bにてお待ちしております。お時間ございましたらお立ち寄りくださいませ。

蛇足ながら一点だけ補足です。正直なところ、一部批判的なことも書いています。私が感じてきた妙な権威性についてだったり、コミュニケーション不全の原因と考えられる構造に関して私見を述べています。この主張に対するご意見があれば是非話をしましょう。