表現者にとって一番つらいこと

たとえば飲みに行くとこんなことがあると思います。

はー、今日も疲れた。さてと、一杯目は何にしようかな。濃くないものがいいなぁ

では、初めはポーターはどうですか?ゆっくり飲めますし

じゃ、おすすめのそれ。パイントで

はい、どうぞ

グビグビ・・・あぁ、なんかアイスコーヒーみたいだね。旨いじゃん、これ

それは良かった。ごゆっくりどうぞ

もちろん「旨いじゃん、これ」と言って頂けることばかりでもないでしょう。苦いのが欲しいと言われてお出ししたけれど、「こりゃ苦すぎるよ〜」とか「うーん、違うなぁ。これはちょっと。。。」ということも無くはない。まぁ、人間の気分なんていうものはそんなにきれいに割り切れるものでもない。自分の感覚を上手に言葉にするのだって難しいのに、それを他人に100%分かってもらうなんて不可能に近い。いや、不可能だろう。人の気分なんて究極的に不合理なものだ。AIだのアルゴリズムだのがこれから進化したら合理的かつ正確に判断することが出来るのだろうか。無理じゃないかなぁ・・・もし出来たとしたらそれはそれでディストピアなんじゃないかと思う。少なくとも私達はお互いに語り合うことで希望について近似値は取れると思うし、その過程自体が楽しい。やりとりをすることが大事なのだ。人間が人間である限りいつの時代にも当てはまる公理だろう。

ビアパブをはじめとする飲食店では提供したものに対する反応や感想をダイレクトに、そしてその場で知ることが出来ます。しかし、ビールを醸した本人であるブルワーはその場にいないし、その評価を直接聞くことは出来ません。ブルワーは何かしらの想いを込めてビールを作っています。その想いの結晶であるビールが誰にどう飲まれ、それについてどう感じたか知りたがっている。大袈裟ではなくて、例外なく全員そう思っている。それが肯定的か否定的か問わず、発信者、表現者は受け手の反応がとにかく欲しいのです。

とあるブルワーと話していた時にそんな話題になり、彼はこう話してくれました。

なかなか評価を聞くことが出来ないから、自分のブランドのエゴサーチはむちゃくちゃしますよ。で、褒められてるのを見ると嬉しいです。逆にけちょんけちょんに書かれてたりすると凹むんですけどね。次は絶対旨いって言ってもらえるように頑張ろうって思うんです。何にも出てこないのは本当に辛いですね

ああ、そうだよなぁ・・・。

とても共感すると共にグサッと心に針を刺されたような気持ちになったのでした。

表現者として一番つらいことは、鑑賞されたのに一切評価されず反応が無いことだと思う。旨いともまずいとも、良いとも悪いとも言われずに無視されるのは本当に苦しいことだ。発信したものがただただ消費されていき、空虚な数字だけが増えていく。「次は絶対旨いって言ってもらえるように頑張ろうって思うんです」と彼は言いました。けれども、飲んで頂く人が誰なのか、どこをどう修正すれば良いのか、どういう期待をしていたのかを知る術はない。だから、多くのブルワーは孤独な戦いをしているんじゃないだろうか。

直接ブルワーを知っている人は伝えれば良い。しかし、飲み手側全員が知っているわけでもないし、伝えることはそもそも義務でもない。でも、何かを感じたら飲み手側もそれを発信して良いと思う。SNS全盛の時代になったわけですし、ハッシュタグ付けて感想を投稿するとか、きっと無理のないやり方があります。それで緩く伝え、繋がることは可能だろう。それが積み重なると大きなうねりが生まれると信じてやまない。

感じたらそれを言葉にしてみよう。それだけでシーンはもっと良くなると思う。