ソニックユースを聞きながら、美しさのことを考えた

オフフレーバー。
クラフトビールを飲んでいるとちょくちょく聞く言葉です。DMSやダイアセチル、アセトアルデヒドなどは聞いたことのある方も多いのではないでしょうか。オフフレーバーはビールにおいて良くないとされている香りや味わいを指すもので、ビールの品評会では審査対象となるビールにそういうものがあるか、あるのであればどれくらいあるかを見ていきます。醸造過程のミスやトラブルでオフフレーバーが発生することもあるので、品評会ではそういう見方もするのです。

突然ですが、sonic youth(ソニックユース)というバンドをご存知でしょうか?wikipediaだとこんな紹介をされています。

ソニック・ユース (Sonic Youth) は、1981年に結成された、ニューヨーク出身のバンド
1980年代以降におけるアメリカのインディーシーンにおいて、ノイズパンクの雄として君臨。後のグランジオルタナティヴ・ロックムーヴメントへ大きな影響を与え、自身らも満を持してメジャーへと移行。以後、メジャーとインディーを行き来しつつ、活動を続けている。

すごくかっこいい。私個人としてはとても好きです。「ノイズパンクの雄」、痺れますね。
どこが好きかと問われると困るのですが、何だか、こう、美しく感じるのです。矛盾した言い方に聞こえるかもしれませんが、こんなにキレイなノイズを出している人たちはなかなかいないのではないかと思います。

彼らがカーペンターズのsuperstar(スーパースター)という曲をカバーしているので是非聞いてみてください。比較用にオリジナルも載せておきます。

original

sonic youthのカバー

美しいノイズというか、厚みを出すのに必要な汚れ、複雑さを与える雑味というものがあるのではないか、と思うのです。欠点を無くしていく努力をすることはとても大事ですが、きれいに仕上がったものはきれいすぎてつまらないことも結構あります。きっとそれはビールも同じ。キレイに作ると美味しいのだけれど、どうしても奥行きや厚みに欠ける。

そこで考えてみたいのが「ビールのオフフレーバーと言われているものは忌み嫌って排除すべきものなのか?」という点です。以前、素敵なツンデレ Jester Kingの場合という投稿でもご紹介したアメリカのジェスターキング醸造所がとても面白いことをやっています。詳細は下記のリンク先で確認して頂きたいのですが、ざっくりご説明するとこうなります。

カンティヨンなどの素晴らしいビールは緑の瓶に詰められています。同じビールを茶色い瓶やケグで飲んだこともありますが、緑瓶の時にあったはずのものが無いと感じました。緑色の瓶にはスカンキーと言われる日光による劣化臭が付きますが、それ以上に何かが付与されると感じます。

途中、こうも言っています。

ビールづくりのガイドラインを学び、品評会に出して賞を取るというのは学校でテストをクリアするみたいな感じがする。テストに合格することが目的になってしまって、作り手の創造力は抑圧されてしまう。

ということで、彼らは意図的に、そしてポジティブな意味合いでビールに日光臭をつけようとしています。日光臭によって、もう一段階先に行けるだろうと考えているのです。これはすごいことではないでしょうか。

Giuseppe_Arcimboldo_-_Summer,_1573

この話を聞いて、なんとなくアルチンボルドの絵を思い出しました。
今のシーンにおいて、オフフレーバーは「あってはならない」もしくは「少々ある限りは許容される」というものであって、決してポジティブに評価されるものではありません。醜の美学というか、ノイズも含めてロックだぜというか、アルチンボルド的と言いますか。うまく説明出来ないのですが、美という概念に「醜」が含まれていて、恐らく芸術として評価すべきはその絶対値なのではないかと思うのです。

クラフトビールと「守破離」の話で書いた通り、”「出来の悪いビールの言い訳」として「スタイルなんて関係ないぜ」と言うのは間違っています。「守」すら出来ていないのに「破」や「離」を自称しても誰もついて来てはくれません。” きっと彼らは「離」に行こうとしているのでしょう。すでに「守」や「破」ではない、ということなのです。

残念ながらJeter Kingのビールは日本で流通していません。その作品がどこまで到達しているのかを舌と鼻で感じる事はできないけれども、その思想には共感します。それを実際に感じたくて、何とかして一本手に入れようと現在画策中であります。

ジェスターキングの緑ボトル実験