クラフトビールと料理のペアリングに関して一考 特に文化と「解なし」について

クラフトビールと料理のペアリングに関する記事をちらっと見たので、先日発表した「それほどガチらず、なるべくラクして美味しいクラフトビールが飲みたいんですけど、なんとかなりませんかね?」に収録されているペアリングについての部分を一部改変してご紹介します。今現在私はこんな風に考えていますが、ペアリングそれ自体に否定的なのではなく、むしろ肯定的です。どんどん研究した方が良い。けれども、その際今よりももう少し拡張した形で考える方が良い気がしているのです。

この本は私どもCRAFT DRINKSの本屋で取り扱っております。ご興味ある方は是非。

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近年クラフトビールと料理の食べ合わせ、すなわちペアリングに関する本や情報が増えてきています。確かにペアリングを通じて美味しさを発見することもあるような気がします。しかし、今のところ断言するのは保留にしたいと思っています。それには大きく2つの理由がありますが、ここではまず最初のものに絞って綴っていきます。

ペアリングを考える際、ビールと料理に共通する風味や成分を合わせるという手法があるとされます。確かに成分を共通させれば成功せずとも失敗はしにくいのではないかと予想されます。とはいえ、この手法も万能ではないでしょう。成分が合うからと言って、私たち一人ひとりに染み付いた文化的価値判断基準に合うとは限らないからです。

今後技術が進化して味覚成分、嗅覚成分を正確に再現することが可能になったとしてもそれは「物質の塊」であって、受容者の脳に生成される記憶、感情などは各人異なります。思考のベースとなる文化、もっと言えばそれまでの人生経験によっても最終的にアウトプットされるものが変わる。つまりある一つのインプットをしても、インプットされた主体が異なるが故に同じ答えにたどり着くことはないのです。

たとえば、お米に慣れ親しんだ日本人にとって炊きたてのごはんは幸せな香りでしょう。けれども、ジャポニカ米に不慣れな欧州の方々にとっては単に炊きたての穀類の香りかもしれません。日本国内だけ見ても各地で味の傾向は異なります。醤油の甘さ、塩辛さは分かりやすい例でしょう。醤油が合うとしてもその醤油自体にかなり幅があって、全く納得できない人も当然発生します。

ヴァイツェンにお寿司を合わせようと提案している方がいるそうですが、私個人は全くそそられない。いくらヴァイツェンの成分と醤油、酢飯が合うと言われてもなんだか嫌味でスノッブに見える。私にとってはお茶か日本酒が良い。美味しいと判断する根拠には文化的背景や幼少期からの経験など様々な要因が絡み合う。生死にも関わることなので、食べ物、飲み物における文化、風習は非常に重要なことです。これを完全に忘却し、フラットな状態で体験することは不可能だと私は考えます。

成分が共通するのだから必ず合うと言われても、突き詰めて考えると困ってしまいます。「このコオロギの成分はエビと全く同じです。だから、エビアボカドではなくこのコオロギアボカドも同じ味わい、同じ栄養でとても良く合います。美味しさも変わりません。」と言われても、グロテスクで手が伸びないし、なんだかこう、とても気持ち悪い。「時代はもう21世紀ですよ。昆虫食も当たり前になる時代ですし、SDGsとかも考えないと」などと言われても、生理的に受け付けない。成分が同じだから納得しろと言われても無理なものは無理なのです。

人間は複雑に出来ていて、成分の問題だけですんなりとはいかない。問いを検討する人それぞれに無意識的な条件があって、それを考慮せずにごく一般的とされるフローチャートで解を導こうとすること自体が間違いの始まりなのかもしれません。

ここまで批判的に書いてきましたが、基本的にペアリングの模索自体はとても良いと思っています。その一方で、対象が飲料と料理に限定されているのが残念でならないと感じます。この場合、飲料と料理の組み合わせの解釈を行う主体、すなわち人間とその文化のバイアスを考慮しないと広く受け入れられる理論構築には至らないような気がしているということなのです。

次にペアリングに関する2つ目の論点についてです。ペアリングに関する本には「合わせるビールや料理が分かるチャート」が載っていることが多い。ビアスタイルを覚えるための図という意味も含まれるのかもしれないけれど、個人的にあれは誤解を招くものに見えてハラハラします。

一問一答形式と言いますか、必ずビールには、また料理には対応するものが存在するような印象を与えるのです。自分のことを自分でちゃんと理解出来るとは考えにくい。そんなことが出来るなら人間失敗や後悔などしません。対象となるビールや料理を鑑賞する側、つまり人間が不変の定数ではなくコロコロ変わる変数なのだから同じ人間が行ったとしても毎回回答が違わなくてはならない。ビール、料理の方も同様です。

設定された問いに対して完全無欠の、完璧な網羅性を持ったデータベースであれば常に必ず何かしらの回答を出すことが出来ます。けれども、完璧なデータベースは存在しないので「残念ですが、このビールに合う料理は導き出せません」や「合わせずに単体で飲むことが推奨されます」という答えになる場合もあって然るべきなのです。言い換えると、「解なし」となるパターンが想定されていなくてはならないということです。けれども、今のところそういう誠実な設計のものには一度もお目にかかったことがありません。

近年注目を集めているペイストリースタウトや果物も合わせたサワーIPAなどはすでにペアリング済みの状態で仕上げられていると言っても過言ではありません。そもそもペアリングが出来ない、もしくはペアリングに向かないと思われるビールがあると想像しておくことも重要だと思われます。