付加価値の話をする前に考えたいこと

かなりの文量になりそうなのでまとめて本にでもしようかと思ったのですが、広く議論すべき事柄だと思ったので要点を絞って公開することとします。

4月に日本クラフトビール業界団体連絡協議会が発足したという報道がありました。1994年に酒税法が改正されて1995年に地ビールが誕生し、日本のクラフトビールの歴史が27年目を迎えているにも関わらず、ビールと発泡酒の出荷量に占める近年のクラフトビールのシェア率が伸び悩んでいると指摘しており、その原因の一つとして下記のように認知の低さを挙げています。

まだまだ知られていない、飲んだことがない人が多く、またビールの付加価値(ストーリー)が飲み手に伝わっていないというのが認知の低迷に寄与しています。

・・・ん?

初めてこれを読んだ時に違和感を覚えました。ビールの付加価値とはストーリーなのだろうか。そもそも付加価値を検討する前にやることがあるのではないか。

私はクラフトなのかそうでないかにかかわらずとにかく美味しいものが飲みたいと思っていて、その品質にこだわります。自腹切って飲むのだからちゃんとしたものが飲みたい。語弊を恐れずに言えばストーリーが一切無くても構わなくて、とにもかくにもちゃんと真っ当に醸された高い品質のものを望んでいます。当たり前なのですが、商品として売買されるお酒としてちゃんと成立していなくてはダメだと思うのです。

地ビールと呼ばれた時代は低品質なものが多かったが、その呼び名がクラフトビールと変わった今は品質が改善されたという言説も多数見られます。それは事実だろうか。残念がら現在売られているビールが全てちゃんと真っ当に醸されたビールではない。一部には本当に酷いものがあって、そういうものに運悪く当たってしまった時本当にがっかりします。「一部には本当に酷いものがある」と断言するには根拠があるので見てみましょう。

酒類総合研究所は酒類総合研究所報告原報リストを公開していて、その中で毎年「全国地ビール品質審査会出品酒の分析について」というレポートを出しています。そこでは微生物検査の結果も発表していて、これが結構衝撃的なのです。最新の2021年のものから該当する部分を以下に引用します。

乳酸菌をはじめとする微生物汚染は、ビールの香味に悪影響を及ぼす懸念がある。とりわけ、1mLあたり1,000個を超える微生物が検出されたものは、品質管理上大きな問題があると考えられる。本年度においても、出品酒の約3割からいずれかの培地で微生物が検出されており、うち6点から1,000cfu/mLを超える微生物が検出された。

出典 酒類総合研究所 全国地ビール品質審査会2021出品酒の分析について

出品数109点のうち6点がアウトで、1000以下であっても微生物が検出されたものが29点ありました。不検出だったものが74点、全体の67.9%です。5.5%が問答無用でダメで26.6%がグレーということです。全体の32.1%が汚染もしくは汚染気味というのはどう考えたら良いのだろうか。ここに出品していないブルワリーについては検査をしていないからはっきりしたことは言えないけれども、この審査会は全国各地のブルワリーが加盟するJBA主催のものだし、まぁ、推して知るべしということになろうかと思うわけです。ちなみに、公開されているレポート全てに目を通しましたが、1000以上が一つもなかったことは一度もない。

不良率5%というのは全然笑えない。「工業的に管理して作っていない、いわゆる手作りなんで結構汚染もするんすよ。ははは、すんません(てへぺろ」とか言ってはいけないと思うのです。なぜならば健康に影響を与える人間の口に入るものをプロの作った商品として販売しているからです。アルコールを含んでいるので多少汚染していても即入院するようなことにはならないけれども、安心していてはいけないと考えます。クラフトビールを知って初めて試してみようと思っても結構な確率で汚染したビールを飲んでしまうでしょう。そして、その人はその経験で「クラフトビールってまずいなぁ」と思って今後飲むのを避けるようになってしまう。未来のファンが一人減るわけです。付加価値とかストーリーとか言っている場合ではなく、そもそも論から改めて始めないといけないのではないでしょうか。

かつてマルクスは「価値」を使用価値、交換価値に分けて考えました。ざっくり言えば使用価値とは物の持つさまざまなニーズを満たすことができる有用性を指し、交換価値とは貨幣経済において価格として表現されるものです。ビールに当てはめて言うと、飲んで「あぁ、美味しいなぁ」とか「おお、よく出来ているなぁ」というポジティブで喜ばしい感覚、経験が使用価値に当たり、私はまずこの点が前提になると考えています。何かを付加される前に備えていなければならない大前提となる価値、というわけです。

2点の使用価値が等しい場合、つまり飲用体験における質や強度が同じ場合において初めて交換価値が問題になるのではないかと思います。その交換価値を支えるものとしてストーリーが位置付けられることについては大いに理解するけれども、使用価値が担保された場合のみそれは効果を発揮するのでしょう。クラウドファンディングなどで新しくビールを作る案件を見ることが増えました。語られるキラキラしたストーリーは確かに素敵だなぁと思う一方で「一発勝負で作るビールが必ず汚染もしないできっちり作れる」という前提で企画が進んでいることにちょっと不安を覚えたりもするわけです。地球に良い、地域に良い、社会に良いと言っても「でも、このビール、汚染していてまずいじゃん」となればその美談は虚しさを倍増させるだけなのですから。

付加価値は英語でAdded Valueと言います。メインのものに対して付加されるものであって、それ自体がメインではないということは改めて意識しても良いのではないかと思います。クラフトビールの認知を上げようとするならば「クラフトビールってどれもお酒としてちゃんとしてるね」という安心感の提供しかないでしょう。どのブルワリーのものを買っても品質上問題がなく安心して楽しめるという前提を作った上でストーリーが語られるようになって欲しいとビールファンの一人として思うのでした。

・・・本当は汚染以外にもDOの計測などなど、Quality Assurance全般についても考えたいのですが、とりあえず今日はここまで。また何かの機会に書きたいと思います。