自炊して気がついた法則

ちょっと思い出話でも。

20代の頃、仕事の関係で数年一人暮らしをしていました。中央線沿いのとある駅から少々離れた1Kのアパートに暮らしながら、昼の仕事をしつつ会社に内緒でバーで見習いをしていました。本当に寝ないで仕事していたのでスーパーカブに乗りながら寝そうになったり、あまりの疲労で立てなくなって病院で点滴打ったことも。若気の至りと言いますか、無茶してましたね。もう二度とやりたくないなぁ。でも、楽しかった、あの頃は。

それはさておき、そんな酷い生活をしていたのでとにかく時間がなかったのです。睡眠時間を作るために寄り道はせずにすぐに帰るようにしていました。で、仕方なく自炊を始めるわけですが、まぁ、20代の男の一人暮らしですから適当になるわけですよね。レトルトのカレーとか、パスタを茹でて市販のソースをかけるだけとか。決して自炊とは言えない、レンチン生活です。

少ないながらも睡眠時間は確保出来たものの、そんな生活をしばらく続けていたら身体の調子が悪くなってしまい、「こりゃ、食生活を見直さないとダメだな」と本気で考えるようになりました。貧相な食事では貧相な肉体になるし、思考・思想も貧困に陥る。なんとかしなくちゃ。

そこで一通りの調味料も揃えて、近くのスーパーに行って野菜や乾物などを定期的に買い込み、へたくそながらも自炊を続けました。野菜炒めは結構上手に出来るようになったし、カレーも悪くない。やれば案外出来るものだ。

しかし、しばらく続けていると色々と問題が出てきました。

疲れて帰ってきてやる気が出ない。
冷蔵庫が空っぽだ。
レシピもマンネリ化している。

中でもその当時一番嫌だったのが洗い物。疲れて帰ってきてから頑張って御飯作って晩ごはんを食べ、缶ビール飲んで「ぷはぁ」とか言った後はもう大体のことがどうでも良くなっている。そんな状況から気持ちを仕切り直してシャキッと立ち上がり、グラスを割らなよう丁寧に洗い物をするなんて出来ないのです。一度完全にオフになったスイッチを入れるのは至難の業です。

で、とりあえずシンクにお皿やフライパンを突っ込んで寝てしまうわけですが、翌日その光景を見ると自責の念に駆られるわけです。毎度のことながら「あ〜、そういえばまたこうしちゃったんだっけ、、、はぁ(溜息」となる。面倒だから自炊などやめて毎食定食屋さんかどこかで済ませるという選択肢もあったわけですが、そうはしたくなかった。

そこで、ちょっと立ち止まって考えてみたのです。お店では出来るのに、自宅ではなぜ続かないのだろうか、と。どこに違いがあるのだろうか。

随分と長い間考えていたのですが、ある時1つの法則を導き出しました。食事に関しては「準備して作る」、「食べる・楽しむ」、「片付ける」と大きく3つの作業があるわけですが、これらを行う主体が全て自分の場合は惰性になりやすくて続かないと気が付いたのです。「オレが、オレのために作って食べ、オレが片付ける」のは誰も褒めたりしてくれないから本当につまらない。健康のため、節約のためなど何かしらの目的があっても、自分一人のためにストイックになるのってなかなか大変なんですよね。面白いもので、どこか1つで良いのでこれらの作業に他人が介在すると続くんですよ、これが。不思議なものです。

ご来店くださったお客様はもちろん、家族や彼氏、彼女が食べてくれるとなれば作るのも片付けるのも苦ではない。なんならいつも以上に張り切って買い出しや仕込みもしちゃう。子供にお弁当を作る時のように、自分が食べなかったとしても「んー、美味しかった」と言ってくれるとやりがいがあって「また作ろう」と思えるし、継続できます。「美味しかったよ、また作って。そうそう、後片付けはやっておくね」なんて言ってもらえたらとても嬉しい。自分以外の他人が介在することが特別ではなくて日常であっても何らかのリアクションやその関係性の中に生まれる感情がやる気やモチベーションを生み出すのではないかと思うのです。

「自分以外の誰か」を実感できることはとても強いモチベーションになるし、自分の行ったことに対するリアルな反応が他者からあるというのは何にも代えがたい幸福があります。一緒に食べたり飲んだり、時にはサービスしたりして素敵な時間や空間の参加者になることにも大きな価値がある。どーんと大皿料理をテーブルに並べて分け合うのも良いし、大瓶をポンっと開けて何人かでシェアするのも楽しいですよね。きっとそういうやりとりの温度感が何よりも大事なんじゃないだろうか。

 

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#mojito I used #havanaclub

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先日店頭売価調査のついでに酒屋さんでハバナクラブというキューバのラムを買って自宅でモヒートを作りました。すごく美味しくて晩御飯の時に奥さんとガブガブ飲んでしまったのですが、深夜ひとりで作って飲むと相変わらず美味しいのにどこか味気ないのです。これはIPAでもスタウトでも同じだと思う。結果的には酔っ払うのだけれども、ただ単に酔うために飲んでいるわけではないのだなぁとしみじみ思います。「カンパイ」って大事なんですよ、やっぱり。

関係性の増幅装置としてお酒について最近よく考えるのです。