似ているところと違うところ

少し前のことです。ビアバーに行った時、ドラフトメニューに大阪・箕面ビールのホッピーバイツェンがありました。そのお店ではそれについて「ホワイトIPA」と説明が書かれていて、ちょっとした違和感を憶えたのでした。「小麦を使ったIPA」と「ホップの効いたバイツェン」は似て非なるものではないかと思ったのです。そのベースにおいて歴史的にも地理的にも大きな違いがあるし、一緒にしてしまうのはちょっと乱暴じゃないかと。実際、箕面ビールの公式サイトでもIPAとは謳っていませんし。

で、調べてみたのです。ratebeerには「Wheat Ale – India / Hopfenweisse」というものがありますが、BJCPにも「ホッピーバイツェン」は独立カテゴリーとして存在していないし、untappdにもない。

分けるのか、分けないのか。含めるのか、含めないのか。これはとても大事な問題です。

まず先に断っておきたいのは、どこかの誰かが決めたビアスタイルやそのガイドラインはある意味で「恣意的」なものであり、その分類で認識せねばならないなんてことは一切無いということ。もちろんその道の専門家たちが一生懸命考えて作り上げたものなので根拠はあるし妥当性もある。しかし、それが唯一の正解でも無く、他の解釈や考え方、捉え方が幾つもあって良いのです。時代によって解釈が変わることは大いに有り得るのです。どこかのスタイルガイドラインを唯一無二の教典とし、原理主義的にビールを理解しようとすると途端につまらなくなってしまうと思う。概念を飛び越える面白いものが日々たくさん生まれているのだから。

「名前をつけること」は分けることであり、分けることは「名前をつけること」です。まずAが存在していて他のものを「Aではない」と表現すれば何も問題ない世界ならそれで良いですが、実際世の中はもっと複雑です。BもCもDもあって、そのどれでもないような新しい何かがたくさんある。分けにくいけれども便宜上区別しておいた方が良さそうなものには「Aではない」という消極的な形ではなくて「Eである」と積極的に名前をつけた方が便利です。人間は似てるから違いが気になるし、違うから似てるところを探してしまうのだろう。私たちはそれが気になって仕方ないから名前をつけるのです。

似ているところと違うところ、すなわち「同一性と差異性」についてはおそらく現象学とか現代思想のトピックになってくるようにも思う。若かりし頃ドゥルーズやらフッサールを読んでもちんぷんかんぷんで全く理解できなかったけれど、今なら分かるだろうか。もう一回読んでみようかとも思ったり思わなかったり。

「同一性と差異性」などというものを学問的に考えるのはとても面倒臭いのだけれど、個人的には「似ているところと違うところを探してみる」という視点で自分なりに物事を緩く眺めてみるのも面白いと感じます。物事を整理すると差異や共通項が見えてきて、目の前に広がる風景の色が今までと違って見えるのです。関係ないと思っていたものが繋がり始めたりもします。ただし、それにはまず好奇心というものが必要です。これは他人から強要されて持つことが出来ないし、無理やりさせられても全く身につかないのは誰しも一度は思い当たることがあるでしょう。人間の好奇心はどこから生まれてくるのだろう。いつも不思議に思う。

さて、とりあえず、もう一回飲んで似ているところと違うところを探してみようか。